花を見ても何も感じない人がいる。
「そんなバカな」と思うかもしれないが、いるのだこれが。
「教育」ということを考えるとき、子ども時代に闇雲に英会話などを習わせるよりも、例えば「花を美しい」と感じ取れるような「教育」の方が人間として必要なのではないか。
もちろん全ての人が花を美しいと思わなければならないということはない。
「花は美しくない」という美意識があってもいいだろう。
しかしそれは美に対する感覚が鈍いゆえの「無頓着」ではなく、美意識を研ぎ澄ませた上での「反論」であればと思う。
カラヴァッジョの絵の中にも、少なからず花を見ることができる。

「花を上手に描くことは人物をうまく描くのと同じくらい難しい」と彼はジュスティニアーニに語ったが、花の絵を人物画の上位に置くことはなく、実際には歴史画家として傑出し、キリスト教や古代の情景を劇にしうる者になることを目標とした。

   「カラヴァッジョ」ティモシー・ウィルソン=スミス著 宮下規久朗訳 西村書店