わたしも含めて被災地しなかった人間たちの「心」の持ち方に関してこれまでも書いて来たし、これからも書いていくことになるだろう。
到底一度や二度で、あるいは百度や二百度で語り尽くせるものではない。

ではここでは何を書くか。

東日本大震災を経て、たとえ被災しなくても多くに人たちが心的外傷に類する状態になるのはよく分かる。
しかしだからと言って、極度な無力感にとらわれていては、逆に被災者の皆さんのためにもならないと思う。
例えば「自粛」の問題にしても、「報道機関」であり強く「公共性」を帯びていて影響力が極めて高く、しかも大量の電力を消費する「テレビ放送」などであれば、この時期に不適切な内容の番組は「自粛」すべきだと思う。
けれどあくまで「個人の表現」の場であるブログなどを「自粛」する必要があるだろうか。
もちろんブログを行うことで電力は一定使用されるだろう。
ブログを「自粛」することで「ほんの少しでも電力節約」をしたいというのであれば、それはそれでいいかもしれない。
しかしそのような意図でないのなら、そして被災者の方たちが不快になるような内容でないのであれば、ブログなどを利用して多くの人が活発に表現している方が社会的活気が生まれるのではないだろうか。

そもそもこのような未曾有の大災害に対して人間の力など「何もない」に等しいものだ。
「何もない」中から、「何か」を見つけ出していく、人間としてやって行くべきことはそれだろう。