ところでブリジット・ルフェーブルがモダン・コンテンポラリーのコリオグラファーを集めて会議をするシーンがとりわけ印象的だった。
会議と言っても、ほとんど「叱咤」に近い内容だ。
もちろんルフェーブルがコリオグラファーたちを叱咤するのである。
パリ・オペラ座バレエでは生徒のために週1回のモダン・コンテンポラリーコースを設けているが、ほとんど参加者がいないというのが叱咤の理由だ。
正直驚いた。
若いダンサーたちはもっとモダン・コンテンポラリーを踊りたがるものだと思っていたからだ。
やはりクラシックは永遠なのか。
バレエを志す者にとって、クラシックのステージは頂点なのか。
そうであってほしいし、モダン・コンテンポラリーにもさらに挑戦してほしい。
モダン・コンテンポラリーのコリオグラファーに望むのは、「退屈」な作品を「高尚」だと勘違いしてほしくないことだ。
凄いダンスは動きが少なくても背筋が凍るほどの戦慄を受ける。
そんなダンスと「通受け」だけを狙った「退屈」な作品とは違う。
ブリジット・ルフェーブルが映画の中でそんなことを言ったわけではないが、その雰囲気から同じようなことを考えていたのではと想像する。