●言葉・会話・話題・コミュニケーション・ボキャブラリー(語彙)は末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で!

ボキャブラリーを徹底的に増やす。
そして会話力話題力・コミュニケーション能力強化。
さらに上を。

当ブログを毎日訪ねてくだされば、刻々と変化する社会の動きに合わせながら言葉・会話・話題・コミュニケーション・ボキャブラリー(語彙)を磨くことができます。

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#57378;「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉#57378;

#57378;「末尾ルコ 会話芸術」
#57378;「末尾ルコ 革命広場」

「言葉」「会話」「コミュニケーション」「話し方」・・・「美」


#57870;現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。


#57870;井川遥、斎藤工「ガラスの家」も今週で第5話ですね。
第5話で井川遥は夫との仲がどんどん悪くなっているのに斎藤工に「一緒に家を出よう」と誘われても「ひとまず」断ります。
「ひとまず」というのが重要ですね。
と言うか、最初から好きな者同士が上手く行くようなことはない。
それは恋愛物語の基本としても普通は有り得ないし、逆に言えばすぐに好きな者同士が上手く行く展開なら、その後に変則的な生涯が待ち構えているとか。
「恋愛物語」で鑑賞者なり読者なりを最後まで引っ張るにはいろいろ工夫が要ります。

#57870;「ガラスの家」の場合最初から井川遥と斎藤工が義理の母息子間の「恋愛」という取り敢えずは「禁断の恋愛」に走りフランスの岸壁に二人佇むシーンを見せているわけで、そこまでをどのように視聴者をヒリヒリさせながら引っ張るかに掛かっているというところです。

#57870;義理の母息子間の恋愛という「禁断」なんですから描きようによってはすこぶる官能的に描けるはずなんですが、そこはテレビドラマ、さほど官能的ではないですね。
と言うか、ほとんど官能性はない。
この辺りがテレビドラマの限界なんですが、もっとも近年の日本映画も滅多に官能的な作品にはお目に掛かれません。
映画という芸術は極めて官能性を描くことのできるジャンルだけにもったいないことです。
ここ最近で官能性を感じた映画と言えば、西島秀俊主演「真木栗ノ穴」なんかは上手くできていました。
フランスのディアーヌ・ベルトラン監督の映画なんですが、小川洋子原作「薬指の標本」は実に官能的でした。
原作が小川洋子。
本当は日本人が撮らなきゃいけないんですけどね。

「吉高由里子を映画館で観よう!」
「綾野剛のファンであれば、さあ、出演映画を観よう!それが綾野剛が活躍できる社会への一歩となる」