●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強く美しくする」講座~「悼む人」が当たらなかったのは高良健吾の知名度のせいか?

二階堂ふみがナインティナインのバラエティ番組へレギュラー出演するようになった理由を、

「もっと知名度を広めたいと思いまして」

とぶtちゃけた話は既に取り上げましたが、やはりまだ日本は多くの人が

「テレビへ出ていない人は知らない」

という状況であるということですね。

高良健吾が「月9」なるものへ出演したのもそうした動機がかなり含まれているのではないかと想像します。

高良健吾も二階堂ふみも言うまでもなく「映画俳優」であり、できれば「映画だけ」でやっていきたいと思っているのは間違いないでしょう。
ところがそれではなかなかお客さんが入らない。
逆に、連日のようにテレビへ出演し、特に10代の女性の間で浸透するジャニーズのタレントが出演する映画はその内容の如何に関わらずヒットする傾向がある。

ジャニーズ所属タレントで俳優としての才能がある人たちも少なくないとは思うけれど、

「物事の道理として」、

俳優一筋でやっている人たちがその世界の中心であるべきなのです。

俳優が歌ってもいいし、歌手が演技してもいい。
それぞれのジャンルの刺激となるならば。
しかし先ほども書いたように、

「物事の道理として」、

あるいは

「物事の原則として」、

寿司職人がフランス料理を作るべきではないし、フランス料理のシェフが寿司を握るべきではない。
当然のことですが、日本の芸能界は極度に「何でもあり」になり過ぎている。

映画一本の出演料が莫大であり、、映画自体が世界市場でとてつもない収益を上げるハリウッド俳優と比較しては酷かもしれないけれど、高良健吾も二階堂ふみも「映画のためなら命を懸けてもいい」という気持ちを持っており、現に実行している。
なのに思うように観客が入ってくれない。
これは単純に、「ニーズがないから仕方ない」とか「需要供給の関係だから」とか「市場は常に正しい判断をしている」とかいう問題ではない。

「日本人の精神性・知性そのもの」

の問題だと見做すべきです。


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