末尾ルコ「プロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

プロレスも現在、小さな団体はいろいろな場所で興行を行っているようだが、かつてプロレスが日本全国に膾炙した娯楽だった時代は、巡業もたいがい各地の「体育館」などで行われていた。
高知であれば、高知県民体育館だ。
しかし例えばフェデリコ・フェリーニ監督の『フェリーニの道化師』を観ると、サーカスの中の出し物の一部として「ほぼプロレス」が組み込まれているのが分かる。
リングもなく、サーカステントの中で軽く演じられる出し物という感じなのだが、そのムーブは驚くほど「プロレスそのもの」なのだ。
わたしはかつて、新日本プロレス・全日本プロレスの二大メジャー以外のインディ団体が様々な形態の興行を行い始めた時、(プロレスをそこまで貶めるのか)と憤ったものだが、歴史的に見れば、プロレスには常に「余興的要素」が内在していたのだとも言える。