●わたしはなぜ、「かませ犬」でブームとなった長州力を冷めた目で見ていたのか、あるいは「ラリアット」の通俗化。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

1980年代にかなり大きな新日本プロレスブームをもたらしたのは、まずタイガーマスク、そして「かませ犬」発言後の長州力だった。
タイガーマスク(佐山)も長州力も、ブームを呼んでしばらくすると新日本プロレスに離反しているのがいかにもプロレス界であるというお話はさて置いて、わたしは長州力のファンだったことはなかった。
長州力はアマレスでオリンピックへ出場しており、その意味では「強い」プロレスラーの一人だったのは間違いないが、こと「プロレスラーとしての魅力」に関しては物足りない部分が多かったのだ。
ところが長州力は「プロレスファン」の範疇を超え、一般人にも普通に知られるほどの人気を獲得したわけだから、プロレスに関しても「わたしの感覚」と「長州力に熱くなる人たちの感覚」がかなり違っているのがよく分かった。
しかし例えば長州力以上に一般の人たちをプロレスに向かせる役割を果たしたタイガーマスク(佐山)については、「凄い」と感じていたが、長州力については一度も「凄い」とは感じなかった。
シンプルに言えば、「プロレスラーとしての魅力のポテンシャル」の問題だと思うが、わたしには長州力のプロレスはどうも味気ないものに見えていたのだ。
その「内容」にはいろいろあるけれど、ここで一つ挙げるとすれば、

「ラリアットをトレードマークにした」点だ。

スタン・ハンセンが日本マットで台頭してきた時期を知っている者にとって、「ラリアット」はとても大事な大技の一つで、正しくハンセンのような巨体レスラーが相手を薙ぎ倒すように繰り出す姿に戦慄を感じていたのに、長州力のような小柄なレスラーが決め技として使い始めては「技の魅惑」自体が薄れてしまうと感じていたのだ。
さらに長州力がラリアットを出す前に、誰にも分かるように右腕をぐるぐる回すのも気に入らなかった。

「必殺技」というのは、猪木の卍固めやバックドロップ、馬場のフライング・ネック・ブリーカードロップや32文ロケット砲など、

「相手の隙を見て繰り出す」

という麗しい形式を取るべきだと、わたしの中では確固たる意識があったのだ。