●「色香」と「セクシー」の双方を併せ持った宝塚スター 花總まりの残念な空白期間。

末尾ルコ「エロティシズムの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」
ビューティーペアやクラッシュ・ギャルズが大人気を博していた時期の女子プロレスが「少女たちのための宝塚」的存在だったことを覚えている方は多いと思うが、わたしはバレエファンになる前は宝塚大劇場へ高速バスでよく足を運び観劇していた。
バレエを上演する会場もほとんどが女性ファンだけれど、少しは男性ファンもいる。
しかし宝塚大劇場となると、少なくともわたしが通っていた時期は、男性客の姿を見かけるのが難しいくらいの割合だった。
かように宝塚歌劇団は女性の心を惹き続けているのである。
わたしが宝塚へ通っていた時期に最も気に入っていたのが長きに渡って娘役トップに君臨していた花總まりで、その美しさに魅了されていた。
顔立ちは和風の美形で多少の白痴美的味わいが魅惑を際立てており、さらにプロポーションは驚異的と言いたくなるほど美しくセクシーで色香も強く漂っていた。
「セクシー」という感覚と「色香」という感覚は、共通項もあるけれど、まったく異なっている部分の方が遥かに大きいと考えるべきである。
わたしは国粋主義者ではないけれど、基本的には日本文化の多くの部分を愛していて、はっきり言えば、「色香」という感覚は「日本人だけ」のものだと考えている。
ここで間違ってはならないのは、「色香という感覚を知る日本人は特別で極めて優秀な国民だ」などと主張しているのではなく、単に「色香という感覚を知る日本人は素晴らしい」と語っているのである。
どこの国民や民族と比べて、どこの国民や民族の方が上とか下とか言い出すと、話はおかしな方向へ流れるものだから。(もちろんわたしも分野によっては多少はそのような感覚を持つけれど、要するにバランス感覚の問題だと思う)
宝塚や花總まりのお話もまたちょいちょいしていくけれど、とても残念だったのは、宝塚対談後、花總まりがすぐ女優に転向しなかったことだ。
この一番の原因は、伝えられるところによれば、男役トップだった和央ようかとの「いろいろ」だったとされているが、花總まりほど映画女優としてのポテンシャルを持っていた宝塚スターは、近年ではいなかったとわたしはずっと思っている。
最近大河ドラマなどで花總まりを知った人もいるようだが、女優としてのスタートはいかにも遅過ぎて、日本の芸術文化シーンの大きな損失となってしまった。