●ローマの「剣闘士」の正式継承者は「テニスのグランドスラム」か?あるいは「プロレスのサバイバル術」とは?

末尾ルコ「テニスやプロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

大きなスタジアムで「人間同士の戦いを見せる」というスタイルを遡れば、もちろんローマの闘技場で行われた剣闘士同士の戦い、あるいはそれ以前にもそうした見世物は存在したのだろうけれど、現在最も「剣闘士の死闘」に近いものはテニスのグランドスラムにおける、特に準決勝以降の試合ではなかと、この前の全仏オープンを観ながらそんな気持ちを強くした。
もちろんボクシングや総合格闘技(MMA)などと違い、テニスの試合で失神したり、骨折したりとかいう可能性は低いけれど、一対一の人間同士の死闘が延々数時間続き、その二人だけをスタジアムの大観衆だけでなく、「世界中」が凝視しているという緊迫感など、「凄まじい死闘」というに相応しい雰囲気を常に醸し出している。
そして、「必ずどちらかが勝ち、どちらかが負ける」という「常に完全決着」というスタイルも巨大な緊迫感と余韻を残す。
ボクシングやMMAは、多くのファイターが「判定勝ち狙い」に走る傾向があり、その判定自体も、先の村田諒太の試合を観ても分かるように、「万人に納得できるもの」と行かないケースが極めて多い。
なにせ世界が注目した「フロイド・メイウエザーVSマニー・パッキャオ」が、12ラウンド戦い抜いて、「どちらも大きなダメージを喰わずにしっかり立っている」という有様で、それで満足するボクシング通もいるのだろうが、わたしなどは(12R、おれは何を観ていたんだ)という気分になった。

プロレスはもちろん「純粋に勝敗を争う格闘技」ではないし、「プロのレスリング」でもない。
しかしそれなのに、「プロのレスリング」という名目でずっと続いているのはいかにも興味深い事実だ。
レスリング、つまり「アマチュア・レスリング」をそのままプロにして観客を集められるのなら世話はなく、最初から「プロのレスリング」の興行が発展してきただろう。
しかしどうしても、「アマチュアをそのままプロにしても成り立たない」競技はあるもので、と言うか、世界的にプロとして成立しているのは総てのスポーツの中のごくごく一部だというのは一目瞭然だ。
格闘技関係では、寝技中心のレスリング、柔道、あるいは分かりやすい立ち技の空手やキックボクシングでさえ、「世界的」にはメジャープロスポーツとはなっていない。
そんな状況の中、何だかんだ言って、プロレスがずっと生き残っているのはとても興味深い事実だ。
そして各プロレス団体は、現在も「生き残り」を懸けて戦い続けている。

というような視点でも、プロレス及び他のスポーツについて「語り」を深めていこうと思う。