「若者のフルーツ離れ」は当然なのか?

末尾ルコ「社会批評で知性と感性を鍛えるレッスン」

『若者のフルーツ離れ 「面倒」「汚れる」に現れた救世主とは?〈週刊朝日〉』という記事を見かけたが、国産の多くのフルーツに関していえば、「当然」だという気がする。
なにせ高い。
サクランボ、桃、スイカ、さらにマンゴーやメロンと、(いったい何の値段だ?)と憤慨したくなるものも多い。
品質の良いものを育てるご苦労は分かるにしても、価格の時点で「高級品」並みであれば、消費者が限られるのも当然だ。

といった価格の問題とは別に、多くのフルーツは食べるために切ったり剥いだりと、一定時間必要だという点もある。
そんな余裕ある時間の使い方が風流を生むのだけれど、現代社会、風流からはどんどん遠ざかっていますわなあ。