●渡辺謙の「不倫謝罪会見」に対するネット民の反応から分かるものは?その2

末尾ルコ「社会批評で知性と感性を鍛えるレッスン」

今回の「渡辺謙の不倫謝罪会見」は、概ね女性リポーターたちと和気藹々とした雰囲気の中で行われていたということで、

「ベッキーの時とぜんぜん違うじゃないか!」
「ベッキーの時のように、徹底的に叩いて、仕事ができないようにしてやれ!」
「やっぱり女には厳しくて、男には甘いんだなあ」とか、

まあ見当外れも甚だしいことを考える人が多くいるのだけれど、
ベッキーと渡辺謙に対する対応が違うのは当然だろう。
前提として、わたしは「不倫などいただけない」という考えの持ち主だ。
しかし「渡辺謙のキャリアは不倫問題で揺るがせにできるものではない」と捉えるのが当然であるとの考えでもある。
わたしは芸能リポーターなど基本的に否定しているけれど、ベッキーと渡辺謙の対応に大きな差をつけるのは当然だと思っている。
わたし自身はとりたてて渡辺謙のファンではないが、現在までに成し遂げてきたキャリアに対するリスペクトは十分持っている。
客観的になりさえすれば、このリスペクトは誰もが持つべきではないのか。
歴史的に高名な画家のカラヴァッジョはその生涯で殺人を犯しているが、だからといって、カラヴァッジョの芸術を否定はできまい。
まして「不倫」などというプライバシーの問題で、真っ当なキャリアを持つ芸術家や芸能人、俳優、ミュージシャンの存在を否定すべきではないのである。

ベッキーは・・・何ら「真っ当なキャリア」を持っておらず、そもそも「売れて大金を稼いでた」のが間違いなのである。