●わたしの「読書の愉悦開眼」小史・・・『漫画エロトピア』などに興味はなかったが。

末尾ルコ「読書の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしがどのように「読書の愉しみ」を知っていったかと言うと、まず教員の家庭で生まれ育っただけに、父の書斎兼客間(的スペース)の書棚にかなり多くの本がいつも並べられていた。
では父が熱心な読書家だったかというと、そうでもないことはわたしがある程度の年齢になってから知ったけれど、それはまた別の話。
家の書棚に収められていた本というのは、辞書、文学全集、百科事典、図鑑、あるいは比較的新しい作家の本など様々で、特に子どもの頃は百科事典を眺めるのが好きだった。
百科事典というのは宇宙のことから虫のこと、政治家や芸術家のことなどなど、「森羅万象の記述」を目論んだ書籍で、もちろん森羅万象を網羅できるわけはないけれど、子ども時代に多種多様な興味を養うにはもってこいの内容があった。
例えば「サルバトール・ダリ」の名や、その代表的作品の一つである「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」の存在は百科事典で知ったのだし、広いページの片隅にカラーで載っていた「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」の小さな図像はいまだ明確にわたしの心に残っている。
ただ、書斎に置いてあった本の数々は文部省推薦的なものがほとんどで、もちろん「文部省推薦」的書籍にも素晴らしい作品は多いのだけれど、さらに背徳的な内容の本、あるいは漫画などは「家の外」に求めるしかなかった。
漫画に関しては幸運なことに、自宅の隣が貸本屋兼子ども向け雑貨屋&雑誌屋となっていて、つまり「隣のおばさん」となあなあ状態で利用できたから、コミックスも週刊漫画誌も優先的に貸してもらうことができた。
とは言え、さらに背徳的な読書時間は時に親に連れて行ってもらう喫茶店やラーメン屋などに置かれている書籍によってもたらされた。
書籍といってももちろんそこに置かれているのは漫画や週刊誌中心となるが、店内に踏み込むや否やメニューよりも何よりも本棚へ直行し、わたしが物心ついた時期には既に連載の終わっていた漫画や、普段は家に置かれてない週刊誌などを読み耽るのだった。
足を運ぶ店舗の雰囲気にもよるが、かつての喫茶店、ラーメン屋などは、『週刊実話』や『週刊大衆』、『アサヒ芸能』などのタブロイド的週刊誌、時には『漫画エロトピア』なども置かれており、さすがに親の前で堂々とそうした本を広げることはできなかったけれど、『少年マガジン』や『少年チャンピオン』で死角を作り、『漫画エロトピア』に掲載されている豊満な婦人方の図像を密かに味わっていたことがなかったとは言えない。