●今だからこそ、アントニオ猪木の「セメントの強さ」を仮説として検証してみる。その2。~ドリー・ファンク・ジュニア編。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

今となっては、少なくともわたしにとって、非常に分かりにくくなっているのが、ドリー・ファンク・ジュニアのプロレスラーとしてのクオリティである。
ドリー・ファンク・ジュニアが多くの日本のプロレスファンにとって、「最も高級感のあるレスラー」だった時期はかなり長かった。
それはルー・テーズ、ジン・キニスキーと続いた大艦巨砲的NWA世界チャンピオンの系譜の中に突如として「若きテクニシャン」が出現したということが得も言われぬ高級感をもたらした最大の要因だろうし、ドリー・ファンク・ジュニア自身の、まったくコケ脅しのない沈着な雰囲気やファイトスタイルにも、「理想のチャンピオン」像が醸し出ていたのだろう。
しかしそうした印象を特に持っていたのが日本のファンであることも間違いなく、そこには多くの日本人が持っている「正統派第一主義」や、多くの日本人プロレスファンが持っていた「テクニシャン崇拝」、そして「禁欲的雰囲気愛好」といった思考が垣間見える。

実は「もし最盛期のアントニオ猪木とドリー・ファンク・ジュニアがセメントで戦っていたら」というテーマについて、今現在のわたしの正直な結論は、「分からない」である。
最近猪木VSドリーの映像なども観返してみたが、体格的にもほぼ同じ。
ややドリーが上背があるように見えるけれど、腕や太腿、体幹部の太さもさほど変わらない。
そしてドリー・ファンク・ジュニアのアスリートしてのバックボーンは、「フットボール、レスリング」とされているが、レスリングで一級の実績を持っているとは言い難く、試合の中でもアマレス出身選手特有のパワーとバネに溢れた動きは見当たらない。
ドリーの得意技の一つだったダブルアーム・スープレックスにしても、ブリッジの力で投げるのではなく、腕力と腰の力で(よいしょ)と投げるタイプである。
試合内容自体も腕や脚、そして胴を取り合ったり、絞めたりするシブい展開で、派手なアクションやアピールなどはまったくない。
このドリー・ファンク・ジュニアを長い間奉ってきたプロレスメディアやファンの心理を含め、余計に興味が出てきた次第である。