●金髪コンプレックスは日本人だけではないが、ブロンドを振り乱すプロレスラーたちの魅惑的系譜。

末尾ルコ「プロレスと社会批評で、知性と感性を鍛えるレッスン」

昭和の日本人、特に男性の中には、「金髪の女性であれば、誰でも最高」という確固たる意識を持った御仁が多かった。
金髪どころか、「白人の女性であれば、誰でも最高」と信じ込んでいる御仁も多く存在した。
つまり「外国人コンプレックス」と言うよりも、「白人コンプレックス」である。
戦後日本人の「コンプレックス」問題は単純な話ではなく、極めて複雑に日本人の心性、社会的雰囲気に影響を与えているので、今簡単に語ることはできないが、一つだけ書いておけば、「白人コンプレックスは必ずしも負の側面ばかりではなかった」という点に注意したい。
ところで「金髪コンプレックス」と言うか、「金髪白人女コンプレックス」だけれど、これはかつての日本人男性に特有のものではなく、白人男性の間でも「金髪美女」に対するファンタジーは共通していることは、多くの米国人やオーストラリア人との会話の中からよく理解できた。
要するに、「本物の金髪」は白人の中でも極めて少数派であるから、「抜群の希少性がある」ということなのだ。
そして「本物の金髪」が多いであろう、スウエーデンの女性に対するファンタジーも根強いのだという。

などと書きながら、ここからプロレスの話に変わるのもどうなんだという気もするけれど、「金髪繋がり」ということで。
大まかに言えば、ゴージャス・ジョージ~バディ・ロジャーズ~ニック・ボックウィンクル~リック・フレアーという、「金髪レスラー」の系譜がかつてあり、今考えるとこれらレスラーたちは極めて「選ばれた」人たちだったなと思う次第である。
ゴージャス・ジョージ~バディ・ロジャーズ~ニック・ボックウィンクル~リック・フレアー・・・その誰もがそれぞれ当時のプロレス界の大スターであり、誰もが金髪を振り乱しながら気障な立ち居振る舞いで観客を苛つかせ、間違いなく負けそうになりながら許しを請うポーズをした後に小賢しく反則攻撃などで反撃し、決定的な負けを被ることはない。
かつてのわたしはこうしたお約束を必ずしも楽しめていたとは言えない。(もちろんリアルタイムで観ていたレスラーは、ニック・ボックウィンクルとリック・フレアーだけだが)。
ところが今、動画サイトなどで観るこうしたレスラーたちの動きに目を奪われるのである。
常にリング上でどのポジションを取ることがより試合を魅力的に見せるかを計算し、強さと弱さだけでなく、人間の卑劣さも表現してしまう懐の深さ。
ひょっとしたら、大人でなければその真価は理解できないレスラーたちだったのだろうか。