●内藤哲也の2017G1優勝、柴田勝頼がリングであいさつ・・・などのニュースから、『ギブUPまで待てない』などの時代を思い出す。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

内藤哲也が4年ぶりのG1優勝を飾ったそうである。
しかし思えば第1回G1クライマックスで蝶野正洋が優勝した時はプロレス誌を眺めながら、(ああ、今はこんなイベントが盛り上がっているんだ)と平坦な印象を受けたのみだった。
要するに、当時の新日本プロレスに対する興味はかなり薄れていた。
どちらかと言えば、全日本プロレスの方をよりまとも観ていたかもしれない。
この辺りの時代については、自分でまたいろいろ調べてみたいと思っている。
テレビ放送の問題もあっただろう。
もともと高知にテレビ朝日系のネットはなく(いまだにない)、『ワールドプロレスリング』はTBS系のテレビ高知の深夜帯に放送していたのだが、人気を失い、視聴率も獲れなくなり、『ギブUPまで待てない!!』という、山田邦子が司会進行役を務めるという酷い番組構成となり、それでも人気が復活するはずもなく、高知では一旦『ワールドプロレスリング』の放送は終了しているはずだ。
『ギブUPまで待てない!!』が開始されたころはまだまだコアな猪木ファン、新日ファンが多くいて、怒り狂った投稿などをプロレス誌紙で見かけたが、わたしは「怒り」などよりも、ただ侘しい気分だった。
テレビ局が視聴率次第でどうとても動くものだということは分かっていたが、あれだけ多くの国民を熱狂させていたアントニオ猪木が、試合前の控室でふざけたインタヴューを受けるようになろうとは・・・という感じである。
この時代のコアな猪木ファン、新日ファンの存在は、猪木、新日に勢いがある時はまだいいとして、勢いを失ってしまった後は、レスラーや団体にとってかなり厄介な要素を持ったファンになっていた。
そうしたファンの多くは当時の10大港違反から20代後半くらいまでの人たちだと見えたが、多くは村松友視の『私、プロレスの味方です』がちょっとしたブームになって以降にファンになった層だったと思う。
それは現在も動画サイトで視聴できる映像を一見するだけでも明らかで、猪木がタイガー・ジェット・シンと抗争を繰り返していた時期には大人の男性が客先の中心を占めているが、スタン・ハンセンが定着し、国政プロレス軍団との抗争を始めた時期の観客は若い男性が多く、ほとんど宗教的法悦境の雰囲気さえ漂わせながら、「猪木コール」を繰り返していた。

ところで硬膜下血腫で緊急手術を受け欠場中の新日本プロレス柴田勝頼が13日にリングへ上り、挨拶をしたのだという。
取り敢えず、きちんと自分の脚でリングへ上がり、しっかり挨拶できるようになったのは素晴らしいが、硬膜下血腫まで至ったばかりの人間に対して、みだりに復帰話をするべきではないと思う。