●「父親がプロレスの台本を頼まれた」などとほざいた中学時代の鼻持ちならない同級生について。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「馬場の16文らあ、絶対効かん!マスカラスのフライング・クロス・チョップは効くけんど」
中学時代、わたしと同学年だった、小柄で知的とは言い難い男子生徒の、今でもわたしの心に残っている名言の一つである。
大人であれ子どもであれ、わたしの周囲にしっかりした知識と見識、あるいは分析癌を持ってプロレスを観ているほとんどおらず、プロレスを小馬鹿にして勝手に優越感に浸っている者や、実に素朴にテレビ観戦している者などがほとんどだった。
ただ、現在と大きく違うのは、プロレスが社会に浸透していただけに、積極的な興味を持っていなくても、「プロレスに対しては何か言う」人間が多かったという点である。
冒頭に挙げた、「馬場の16文らあ、絶対効かん!マスカラスのフライング・クロス・チョップは効くけんど」という発言は、かなり素朴にプロレスを観ている生徒が発したものだけれど、馬場の16文キックに対しては眉唾だと思っていても、マスカラスのフライング・クロス・チョップに対しては本気で必殺技だと信じており、かける側の体重が外側へ逃げてしまうあの技がそんなに効くとはとても思えなかったけれど、素朴な同学年性の夢を壊すつもりはなく、わたしは微笑を浮かべながら、「うんうん、まあそうやにゃあ(←ナチュラルな土佐弁)」と頷いていたものだ。
しかし人様が好きで楽しんでいることを平気でディスる連中の神経はどうなっているのだろうか。
わたしが子ども時代、「プロレスとプロレスファンに対しては、自由にディスっていい」と信じていた人間たちのいかに多かったことか。

一人の同級生の男がいて、そいつは趣味から性格から非常にソリが合わず、今でも思い出すとムカつくことが多いのである。
まあ中学生の分際で「中途半端なスノッブ」という男であって、実は様々な知識などはお粗末なものだったけれど、やたらとプライドだけは高くていつも辟易させられた。
もちろんそいつはプロレスをなめ切っていて、ある時こんなことを言ったのをよく覚えている。

「プロレスらあインチキやか。俺の父さんがプロレスの台本書いてくれいうて頼まれたことあるがぞ」

・・・しかしこの男の父親は普通の高校教師であり、しかも高知在住である。
一体どこのプロレス団体が高知の一高校教師に「台本執筆」を依頼するというのか?

とは言え、「プロレスファンである」という状況は、「人間観察」にも最適だったと、今となっては思う。
そして今のプロレスファンは、プロレスが一部マニアの間のものでしかないだけに、「人間観察」の機会にもならないであろう点、とても損をしていると言えるのである。