●センダイガールズプロレスリング(仙女)の中一女子レスラー愛海は正当化されていいのか?あるいは「よき営業家」棚橋弘至とは?

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

女子中学生、しかも1年生のプロレスラーが活動しているという。
センダイガールズプロレスリング(仙女)という団体の愛海(まなみ)という選手だというが、13歳である。

別に中1でデビューさせる必要は何もなく、正に「話題になれば何でも」という感じだ。
「プロレス界に負傷者続出」のテーマの時も書いたが、一般スポーツや一般芸能であれば大きな問題として俎上に載せられるような状況が生じても、プロレス界のことであればまず社会的問題として扱われない。
それだけプロレス界は「世間」から遠い場所へ来てしまっているのだなとあらためて感じる。
「中一女子プロレスラー」とは、これで同団体の観客動員が増えでもすれば、すぐさま他の団体も真似をしそうである。
まあインディ団体のことをどうこう言っても最早どうしようもない状況にはなっているが、かつてプロレスがサーカスの中の余興だった時代もあったわけで、このところのプロレス界を見ていると、その時代に再び戻っているような感がある。
昭和のプロレスファンが神経質なまでに施行した、「プロレス」の「プロであること」と「レスであること」など現在はまったく意味をなさず、まさしく「別の意味を持ったプロレス」ができてしまったかのようだ。
しかし考えてみたら、力道山時代から馬場・猪木時代までの日本のプロレスの社会的ポジションの高さは本場米国と比較しても極めて特殊だったのだろう。
当時のスポーツ系の娯楽は「野球・大相撲・プロレス」の3つくらいしかなくて、力道山、馬場、猪木の知名度、人気、著名人の中でのバリューなどは、俳優や歌手などと比べても、この3人を上回る人を探すのが難しいほどだったのではないか。
それと同じ時代を「もう一度」というわけにはいかないだろうが、現在「ブーム」だと言われている新日本プロレスにしても、もう少しやり様がありそうな気がする。
現在の新日本プロレスの人気回復に大きな貢献をしている棚橋弘至を見ていて感じるのは、「よき営業家」であっても、「素晴らしき闘争者」ではないということだ。
リアルファイトであるMMAも浸透し、猪木の時代とはまったく違っているのはよく分かるが、猪木の時代とは異なるコンセプトを持って魅力的な闘いに打って出ることはできるはずである。
そのヒントはいまだに心を振るわせる言葉である、「KING OF SPORTS」の中にありそうだ。