●「嫌い」から「好き」へ・・・あるいは「大好き」とも言える「豚汁」レシピと和久田真由子との関係。

末尾ルコ「食の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

現在でも茶碗蒸しを積極的に食べたいとは思わないが、子どもの頃は嫌いな部類の食べ物だった。
あの絹ごし豆腐よりもさらに柔らかい食感のちゅるると口の中で溶けていく得体の知れない本体(?)も苦手だった。
あの本体(?)、極めて柔らかい、いわば「天使過ぎる豆腐」なのかと思っていたが、実は溶き卵に出し汁を合わせたものだと最近知ったし。
確か中学時代の修学旅行の時である。
夕食の一品として茶碗蒸しが供されていたのであるが、もちろんわたしは心中(ちっ!)と舌打ちしたのだけれど、同級生の一人が、それはよく「嬉しがり」と呼ばれるタイプの男だったが、

「いや~、この茶碗蒸し、シイタケの味が沁み込んじゅうちや(←ナチュラルな土佐弁)」

と茶碗蒸しをディスってくれたのを聞き、(我が意を得たり、そこに我が同志が!)と心中で痛快に叫んだのである。
別にその男と、その後仲良くなることはなかったが。

豚肉が苦手だったことは既に書いたが、当然豚汁も(トンでもないぜ!)とダジャレも出るほど苦手だった。
何かこう、子どもの頃にわたしが目の当たりにした豚汁の中に浮かんでいた豚肉は脂身の割合がどうも多かった気がする。
おそらく豚肉の切り身の中に脂身が1割未満であれば、キッズだったわたしも食べられたかもしれなかったのだが、「脂身4割以上」という情景をあまりに多く見過ぎていた気がしてならない。
あのピラピラした白とも灰色とも半透明ともつかない脂身の見た目だけでも冷や汗ものなのに、正直な話、あれを口の中に入れることなど到底無理だったのである。
しかもその異様な物体の中に含まれる味のエキスが豚汁のスープの中にしっかり浸透しているではないか。
(どうしてこんなものを食べなきゃならないんだ)・・・豚汁によく使われる里芋のねっとりして土の香りが漂ってくるような味、食感もわたしには歓迎できないものだった。

そしてあの頃から幾年月・・・今、わたしはこう叫ぼう。

「おれは、豚汁が好きだああ!」

そもそも最寄りの安売り系スーパーで売っている豚肉が上手い。
気にならない程度の適度な脂身に、肉全体には蕩けるような好ましい食感と味わいが詰まっている。
白味噌との相性もバッチリで、秋冬だけでなくオールシーズンOKのあっさり味がまたいい。
NHK『おはよう日本』の和久田麻由子も、「夏でもしょっちゅう食べている」と言っているではないか。
そう、あの、北朝鮮がミサイルを発射すると、画面からいなくなると一部で話題の和久田麻由子もだ。