●わたしの母も「プ女子」化か?「いつも通りの」内藤哲也VS棚橋弘至に熱狂する観客の心理とは?

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

2017年1月4日東京ドームの内藤哲也VS棚橋弘至を今頃観たのも何だけれど、たまたま母親と一緒に観たので、その分とても考えさせられることになった。
と言うのも、内藤哲也VS棚橋弘至の試合中、母(いわゆる「後期高齢者」とされる年齢です)は目を皿のようにして観ながら、「こりゃあ、おもしろい。こりゃあ、おもしろい」を連発するのである。
母がこの二人の試合を初めて観たわけではない。
今までも何度となく観ていて、新日本プロレスのレスラーの中では二人とも気に入っている。
それにしても今回、実におもしろそうに観戦しているのを横で見ていて、(なるほど、こうしてプ女子が生まれるのか)とあらためて認識した次第なのだ。

では内藤哲也VS棚橋弘至の試合内容はどのようなものだったか。

ひとことで言えば、「いつもの新日本のビッグマッチ向けの試合」である。
試合開始時こそやや間を取った睨み合い、内藤哲也のタイミング外しなどが行われたが、その後は原則両者の矢継ぎ早の技の出し合いが繰り返される。
プロレスのクラシックな試合構築の一パターンである「一点集中」のシーンも見られるが、例えば相手の片脚に対しての「一点集中」も、かつてザ・デストロイヤーが執拗に行っていた地味ながらいかにも徐々にダメージが蓄積しているように観客に感じられるようなものではない。
「一点集中」の攻撃一つ一つ自体が派手目の「見せる技」になっており、「足首を捻じるだけ」とか「相手の大腿部に膝を落とすだけ」といったケースは極めて稀で、ホールド技にしても「複雑な形態を分かりやすく観客に見せるストレッチ技」となっている。

「より派手に、より分かりやすく見える化」・・・これがプ女子を含む平成プロレスファンにアピールする大きな要因であることは間違いない。

「より派手に、より分かりやすく見える化」・・・しかしこれはプロレスに限らず平成日本文化の多くの部分に見られる現象だ。
こうした要素にはいい面もあるのだろうけれど、悪い面もある。
ニュアンスの欠如、知性や感覚の鈍麻などが悪い面として挙げられるのであり、既に多くの日本人にその悪い影響は出ていると見られるけれど、この件は今後も深めていくとして、内藤哲也VS棚橋弘至の試合であるが、実に「いつも通りの展開」で、確かにわたしも観ていて飽きはしないのだけれど、特にワクワクもしない。
ましてや試合を観ながら熱狂をする由もないのだが、当日会場へ来ていた観客たちのほとんどはもちろん熱狂している。
いや、もちろんせっかく盛り返してきたプロレス人気に水を差そうなどという気は毛頭ないが、平成のプロレスファンたちはあの「いつも通りの展開」のプロレスにどのような心理状態で熱狂しているのか、その点には大いに興味を持っている。