●いずれ「プロレス」さえやってしまう「王道アイドル」天地真理に日本の殿方たちは発情していたのか?

末尾ルコ「昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

人様の顔や体形をどうこう言うべきではなく、もちろん誰かの姿を見て、つい心で思ってしまうことはあるけれど、それを言葉として発してしまうのは、とりわけ当人の前で発してしまうのは、人間社会の中では反則行為である。
まあ、子どもの世界では日常茶飯であるが、それについてはまたの機会に述べよう。
少なくとも、大人の世界で人様の顔や体形について大っぴらにどうこう言うのは反則である。
この「大っぴらに」という言葉も一つのポイントだが、それについても別の機会に述べよう。
しかしここでわたしが言いたいのは、

「俳優や歌手など、容姿も含めて売り物にしている人たちの外見について話題にするのは当然である」

ということだ。
別にわざわざそんなことを今更主張する必要などなさそうなものだが、今日び「一般人」と「著名な俳優、歌手など」の区別がつかない人たちも多くなっているので、敢えて言及してみた次第だ。

そこで天地真理である。

わたしが子ども時代、天地真理は太陽のようなアイドル歌手・・・のように感じていた。
「王道まっしぐらのアイドル」・・・そんなイメージで、他を圧していたと思い込んでいたし、現在その実績を調べても、確かに70年代前半の天地真理はそれだけのビッグアイドルに相応しい活躍をしていたようだ。
容姿的にも「王道」であり、アイドルとして何ら非の打ち所がない・・・くらいに漠然とイメージを持っていて、もちろんアイドルとしての人気が無くなってからの天地真理の人生についてつぶさに知っているわけではないけれど、バラエティ番組でプロレスをやっていたなあとか、決してご本人の望んでいた人生ではないだろうことも漠然と知っていたが、問題は「王道アイドル全盛期」の天地真理である。
今見ると、いろいろと「ヘン」なのだ。
いや、ヒット曲の楽曲クオリティは今聴いてもかなりいいと思う。
ミニスカートで歌っている姿を見れば、プロポーションもなかなかいい。
しかし顔・・・目が中心に集まり過ぎている感があるし、頬も前に出過ぎている。
もちろん女優ではなく(女優的仕事もやっていたが)、「アイドル歌手」なのであるから、「美貌」よりも「親しみやすさ」に重点が置かれているのは分かるし、いくらか隙のあるルックスの方が好まれる傾向もあるだろう。
では天地真理のヘアスタイルはどうなのか?
お釜を被ったような時もあれば、昭和のある程度年輪を経た婦人の方々がやっていたようなパーマ頭の時もある。
そして声・・・こちらも何やらスカスカと抜けるような、そして昭和のある程度年輪を経た女教諭のような声のようにも聞こえる。
そして何ら感情を持たないロボットのような歌い方・・・。

いや、だからどうというわけではないけれど、そして頑是ないキッズだったわたしにはよく分からないところなのだけれど、アイドルとしての天地真理は、例えば中高生の少年血を発情させていたのだろうか。
エロティシズムの観点からも、興味深い考察ではある。