●ゲームをやるなら、やはりボードゲーム?「モノポリー」や「バンカース」が友人宅にあった日には・・・。

末尾ルコ「昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

父はアウトドアタイプではなく、子どもの頃から私の家庭には、「海へ!山へ!」という雰囲気は皆無だった。
父の死後、母はちょいちょい、「子どもらあをいろんなところに連れて行きたかったのに、お父さんはそういうことをうんと嫌がる人やったきねえ」とこぼすようになった。
わたしも当然ながらアウトドアタイプとして育ちはしなかったが、父の死後は頻繁に母を連れて東京を中心にバレエ鑑賞などに出かけるようになり、それはそれでなかなかの親子横行だと自負している。
父には感謝の気持ちももちろんあるが、出不精は目に余るほどで、家族で高知県以外へ旅行と言えば、わたしが小学時代に大阪の親戚に行ったのみである。
といった話はさて置いて、子ども時代から「独りで過ごす」ことも平気だったわたしであるが、けっこう人気者でもあったので(←自画自賛の図)、友人と遊ぶ時間もけっこうあった。
わたしの家庭はアウトドアのみならず、遊興的雰囲気も非常に希薄で、そりゃあまあトランプやオセロくらいはあったけれど、少々凝った遊び道具は友人宅に存在することが多かった。
例えば、小さなサーキットの上をミニカー(?)がビュンビュン走るようなブルジョアなおもちゃを持っている友人もいて、(こいつ、何持ってやんでえ!)と思ったものだが、頑是なく誇り高いわたしは内心の欲求を決して表に出すことなく、しかしそのようなシステムを親にねだれるような雰囲気もなく、まあ、物欲に耐える訓練になったかなとは無理矢理思う。
わたしはスーパーカーの類いにはまったく興味がなかったけれど、そのサーキットな玩具にはいささか羨望を抱いていた。
それと、「モノポリー」とか「バンカース」とかいうゲームを持っている友人がいて、御存じの方も多いかと思うが、これらはボードゲームの一種で、一人ずつ駒を進めながら土地を買ったり売ったり、人生の勝利者になったり没落したりという内容であり、いかにも資本主義的ゲームであるが、家にあるのはすごろくとか、せいぜい「人生ゲーム」くだいだったので、とても新鮮で刺激的に感じた。
「モノポリー」ないし「バンカース」を持っていることを知って以来、その友人の家に行く目的は「それをやること」になってしまったわけだが、その野郎(笑)、せっかく行ったのにゲームを出さない日もありやがる!
こちとらと来たら、心で(早く出せ、早く出せ!)と、そればっかり考えているのによう!

などというわけで、複数人で行うボードゲームは、「人間関係の研究」にも最適なのである。