●「急所打ち」に見る、昭和プロレスと平成プロレスにおける相違の一側面。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

昭和プロレスと平成プロレスの間の大きな違いの一つが、「急所打ち」の扱いだ。
「急所打ち」・・・他の格闘技ではついぞ見かけないこの攻撃は、プロレス界においては昭和の時代から折に触れリング上で展開される。
「反則攻撃」はそれをやるファイターとやり様によっては試合の魅力を何十倍のも増幅させる効果があって、「反則はカウント5まで」という意味不明な「ルール」を発明した人は偉いと言う他ない。
「流血戦ご法度」とされる現在の新日本プロレスの試合でも反則攻撃が皆無な内容はまず見当たらず、基本的に反則攻撃は「試合を盛り上げるための重要な要素」という不文の了承がレスラー・観客間で合意されており、故に誰かの反則攻撃に対して観客が本気で怒るシーンもまず見られない(中には怒っている観客もいるのかもしれないが)。
反則攻撃に対して大きなブーイングが生じるシチュエーションは少なからずあるけれど、それらは「ブーイングを楽しむ観客」たちによって嬉しがられて行われており、「怒り」とはまったく別種のものであることは言うまでもない。
「反則攻撃」に関してはいくらでも語るべきことがあるが、今回は「急所打ち」についてのプチ考察である。

昭和のプロレスにおいて、「急所打ち」は反則攻撃の中でも最も卑劣にして醜悪な行為とされていた。
大木金太郎とキム・ドクがタッグを組んで全日本プロレスで活躍していた時期、相手の急所を膝の上に落とす反則技を「得意」としていたが、村松友視はエッセイの中で「大木金太郎も、ここまで落ちたか」というニュアンスで批判していたことを覚えている。
もちろんプロレスにおける「急所打ち」は本気で相手の急所にダメージを与えるために繰り出すわけではなく、「ヒールがより観客を興奮させるため」のものであり、ヒール的ポジションのチャンピオンによっても時折使用されていたことも事実だ。
ただ、平成プロレスとの大きな違いは、「急所打ちを喰らったレスラーの対応」である。
団体のエース級のレスラー、つまりアントニオ猪木やジャイアント馬場、藤波辰爾や三沢光晴らは、「急所打ちを喰らっても、カッコよく苦しまねばならなかった」のだ。
急所打ちをを喰らったからといって、リング上でバタバタ転げ回り、観客の失笑を買うのはそれこそご法度だった。
特にアントニオ猪木の試合に、「失笑」は許されなかったものだ。
ところが現在の新日本、エースであり一番の二の戦であるはずの棚橋弘至でも矢野通にしょっちゅう急所打ちを喰らい、大袈裟に倒れた後、亀が仰向けになったような姿で苦しむ姿で率先して観客の笑いを誘っている。
そして反撃として、自らも急所打ちを繰り出すパターンができている。
原則「レスラー全員、コミック試合参加可」が、平成プロレスの一側面でもある。