●ガイアナ人民寺院集団自殺とナチス服の沢田研二「サムライ」と素っ頓狂な石野真子「わたしの首領」の1978年。

末尾ルコ「音楽と現代史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

TBS『ザ・ベストテン』の放送開始が1978年1月だという。
ここでもわたしの記憶があてにならないならないことが露呈されていて、ずっと1978年より数年前から観てた印象を持っていた。
1978年と言えば、これまでにも触れているが、ガイアナ人民寺院集団自殺事件があった年で、わたしにとってこの事件のイメージは「生まれる前に既に起きていたもの」であって、実は1978年、つまり『ザ・ベストテン』の放送が始まった年と同じというのはとても不思議な感覚なのだ。

1978年に流行った歌を見てみると、例えば沢田研二が「サムライ」や「ダーリング」をヒットさせている。
わたしの記憶では、沢田研二が『ザ・ベストテン』で初めて「サムライ」を披露した時に着ていたのがナチス・ドイツの将校服であって、黒柳徹子が「戦争を知っているわたしがこの服を見たらドキッとする」という意味の発言をした。
後日『ザ・ベストテン』へ出演した際には、沢田研二はもうナチス服を着用していなかった。
第二次世界大戦後ずっと、「絶対悪」「人外の所業」と見做されていたナチス・ドイツに対して共感を示す発言も近年は徐々に公の場で語られるようになっていて、それは欧州で極右が台頭してきた現実だけでなく、日本の言語空間の中でも、「ナチスを褒めるのをタブー視するのはおかしい」という意見が目に付くようになってきた。

しかしこの点について今、これ以上突っ込んだ話をするのはよそう。

1978年は石野真子がデビューした年でもあるのだが、わたしは石野真子を「いい」と感じたことはまったくなくて、まあそれは人それぞれの好みなのでお許し願いたいが、このところ気になっているのが、「わたしの首領」という歌だ。
「わたしの首領」と書いて「わたしのドン」と読みのだけれど、わたしのって石野真子は「素っ頓狂なアイドル」だったのだが、そのキャラクターに相応しい「素っ頓狂なタイトルと歌詞」だったなとなぜか最近再認識している。
こんなタイトルや歌詞を今どきのJ POP関係者が作れるとは到底考えられず、誰かなあと調べたら、

阿久悠!

やはり!むべなるかな、である。

しかし作曲が吉田拓郎というのはどうなのだろう。
吉田拓郎に思い入れは一切ないが。