●ファナティックな「食育婦人」の思い出に留まらず、わたしは「甲殻類の嗜好」についても言及するに違いない。

末尾ルコ「食の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

以前某大学の何やら「ディスカッション」的イベントで、しかしそれは相も変わらず「ディスカッション」の体を成さない予定調和的時間であり、「外の人間」であるわたしが発言を始めたら、「皆さん、固まる」という現象が見られたのはいかがなものかと思ったが、そう言えば、某女性センターでのイベントでもわたしが発言を始めたら「皆さん、固まる」という現象が見られ、(ああ、予定調和は社会の津々浦々まで浸透しているのだな)とつくづく感じ、そうしたイベントは時間の無駄なので行かなくなった。
と言う話は今回のメインではなくて、その某大学のイベントに「食育」を推進している婦人も来ていたのだが、この人の雰囲気がほとんど「怪しげな新興宗教信者」そのもので、そりゃあ「食」が人間の心身の成長、発達、運営にいかに大切かはよく分かるけれど、「食育で何もかも解決する」とでも言いた気な、「世の中のどんな問題も、食育と結び付ける」ような、そうしたファナティックなスタンスはとてもじゃないが受け入れられるものではなかった。

とは言え、「衣食住」という言葉を持ち出すまでもなく、「食」については深めれば深めるほど日々の愉しみが増すことは間違いなく、これは「今のところ食に関してまったく深めてない」わたしが主張しているのだから、とても説得力があるはずだ。
ですよね♪

で、「食」に関しては継続的に素敵記事をアップしていくわけだけれど、ここで一つ重大な事実を告白せねばなるまい。

そう(?)。
わたしは、「甲殻類」に対しては、どんな高級なものでもまったく執着がない・・・のである。

多くの人々は、

でっかい伊勢海老だの
でっかいロブスターだの
でっかい松葉ガニだの
でっかいタラバガニだのが

(注 蟹の種類はほとんど分からずに書いています)

テーブルに並んでいるだけで、心躍り、我先にと甲殻を粉砕し、切断し、中身を穿り出しながら、我を忘れて舌鼓を打つことは知っているが、わたしの場合、そうしたゴージャス甲殻類がテーブルに並んでいても、

(むむむ、もうちょっと何とかならなかったのか・・・)

と軽い失望を味わうのみである。

もちろん好物の甲殻類料理がまったくないわけではない。
それは、

エビフライ である。

こうして書きながら、次には「お子様ランチ」と書きそうな自分が怖い気もするが、心配には及ばない。
わたしは中学校進学以降、一度たりと「お子様ランチ」を食したことはない。