●猫ちゃんの局部(睾丸含む)については慣れ親しんだわたしであるが、亀のアヌスやバルスーズは観た記憶がない話から、小池百合子のおこぼれにあずかれずに逆ギレした政治家たちのお決まりの「言い訳」について。

末尾ルコ「日常生活と政治の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「亀」が幼少時のわがヒーローだったというお話を前回させていただいた。
ま、他にもいろいろ「ヒーロー」や「ヒロイン」はいたわけですが。
「ヒロイン」と書いて思い出したが、わたしは亀の雌雄を意識したことは一度もなかった気がする。
亀を目の当たりにして、(これは雄かな?雌かな?)という疑問を持った記憶はない。
普通、そういう疑問って、持たないものですかねえ。
わたしは以前多くの猫を飼っていたのだけれど、猫はもちろん分かりやすいですね。
背後と言うか、肛門側から見れば雌雄は一目瞭然。
あれだけ露出して恥ずかしくないものかと怪訝しちゃうほど猫ちゃんはアヌスや性器を露出プレイしている。
しかしここで語りたいのは決して猫ちゃんたちのバルスーズ(←フランス語で「睾丸」)や性器についてではない。
と言いながらも、炬燵ですやすや眠る猫ちゃんの姿以上に幸福なものは他にはそうそうない・・・などと。
まあ今はわたしは猫も他の生物も飼ってないのですが。
そう。亀の話の続きである。
亀の雌雄はさて置いて、子どもの頃から高知市に住んでいたわたしは、なかなか近所の川などで野生の亀を見かけることはなかった。
ところが母方の両親が住む土佐市の家の近くの川には普通に亀が生息していて、それらを見たり捕まえたりするのは大きな楽しみだったのだ。
母方の両親の家の庭には小さな池があり、捕まえた亀をそこへ入れてしばしの間「亀との生活」を楽しむ。
そう言えば、その池では鯉を飼っていたのだけれど、亀を入れていよかったのだろうか・・・という疑問は、今まさに生まれたのだけど。

ところで、衆議院選の希望の党敗北を受けて、民進党出身者による小池百合子・希望の党代表と前原誠司・民進党代表(当時)に対する批判が囂々らしいけれど、批判した連中をよく記憶しておくべきだろう。
「小池人気」のおこぼれで当選しようとしたこうした人間たちの頭にあるのは要するに、「自分が国会議員でいられるか否か」だけだろう。
こうした人間たちがよく口にするのが、「本当に自分たちが推進したい政治を行うためには、多くの議席が必要だから、その可能性の高くなる方法を取る」という「言い訳」だが、中には一部本気でそう思っている政治家もいるかもしれないけれど、い~や、大部分の頭にあるのが「自分が国会議員でいられるか否か」だけであるに違いない。