●わたしが10代の頃気に入っていて、しかしとうに影が薄くなった女優が誰だったかを、「トンデモ科学」的三段論法で探求してみる。

末尾ルコ「映画とトンデモ科学の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

※一つのことを思い出したり、調べたりしている内に、派生して他の様々なこと、普段は意識の表面に上ってこないことが蘇ってくるのです。

そんなわけで、このところ高橋惠子について観たり調べたり書いたりしながらふと心に引っ掛かってくるものがあったわけである。
(10代の一時期、ちょっと気に入っていた女優がいたが、あれは誰だったろう・・・)
少なくとも最近目にしたり、耳にした覚えはない。
そして、つまり昭和から平成に至る過程で、「すっかり目立たない存在」になってしまっていたことは間違いない。
一体あの女優は誰だったのか?
漠然とイメージとして湧き上がってくるのは、

・大柄ではない
・やや丸顔気味である
・目はぱっちりしている

の3点である。
この特徴を眺めて現在わたしの脳裏に浮かんできたのは、

渡辺直美 である。

・・・渡辺直美?

わたしが10代の頃、渡辺直美っていたっけ?
ヘンだなあ??
しかし、「大柄ではない」「やや丸顔気味である」「目はぱっちりしている」・・・これが渡辺直美でなくて、誰だというのだ?
確かにわたしが10代の頃に渡辺直美のファンだったという話はいかにも不自然だ。
しかしここでわたしは仮説を立ててみた。

仮説 渡辺直美=『時をかける少女』説。

そう、原田知世が『時をかける少女』であるならば、渡辺直美もそうだった可能性は理論的に十分あり得る。
次の三段論法を見てみたまえ。

1原田知世は人間であり女性である。
2渡辺直美も人間であり女性である。
3ゆえに、原田知世が『時をかける少女』であるのであれば、渡辺直美も同様である可能性は極めて高い。

・・・どこか理論的におかしなところ、ありますかね?

これほどまでに完璧な仮説を導き出した自分が怖いし、10代のわたしが渡辺直美のファンだったという事実に直面するのも怖い。

しかしここでわたしはふと重大な事実に気づいた!

渡辺直美の得意とするモノマネは「ビヨンセ」であり、最近は『ラ・ラ・ランド』のモノマネをしているのも見かけた。
しかしビヨンセも『ラ・ラ・ランド』も、わたしが十代の頃にはまったく見当たらなかったのだ!

ここでまた逆転の三段論法が生まれる!

1渡辺直美は『時をかける少女』かもしれないが、ビヨンセや『ラ・ラ・ランド』のモノマネが得意である。
2わたしが10代の頃、ビヨンセも『ラ・ラ・ランド』もなかった。
3ゆえにわたしが10代の頃にファンだった女優は渡辺直美ではない。

と。
まあ「トンデモ科学」とか、それだけでなく、「トンデモ社会学」とか「トンデモ歴史学」、さらに「トンデモ政治理論」なんてのはこんなものである。
気をつけねばならないのは、「いかにもトンデモ」風であれば多くの人がそれを見抜くけれど(それでも見抜けない人も多いのが問題だが)、世間的に「権威」とされている人たちの言動にもかなり「トンデモ」が混入している点である。

ところで「件の女優」であるが、もちろん渡辺直美ではなく(笑)、この文章を書き始める時点でもう調べがついていたのだが、書いている途中からこのような展開になった次第である。
そんなこともあるのさ。
「件の女優」が誰であるかは、また後日明らかになるだろう。