●映画『SUSHI GAIRL』の「女体盛り」映像から『ゾンビーバー』へも出演しているコートニー・パーム、そして昭和のエロ本に満ちた町の本屋のメモリーへと。

末尾ルコ「エロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

マーク・ハミルがとてもルーク・スカイウォーカーとは似ても似つかぬ姿で登場する映画『SUSHI GAIRL』であるけれど、別にこの作品はマーク・ハミル目的で鑑賞したのではなくて、ましてや「女体盛り」目当てでもなく、このテのインチキ臭い映画の中にお宝的なおもしろさの作品がちょいちょい見つかるからである。
しかし『SUSHI GAIRL』はさほどおもしろくはなかったのだけれど、「コートニー・パーム」という女優の裸体の上に寿司が置かれていたのは確かであり、このコートニー・パーム、ここ数年の「インチキ臭い映画」の中の傑作のひとつ、『ゾンビーバー』へも出演しているではないか、というお話は以前書いた気もするけれど、まあそれはいい。

この「女体盛り」だが、わたしの個人的感想としては、(裸体の女性の上に寿司を載せて何が楽しいのだろう)くらいのものであり、「女体盛り」に関しては何ら関心はないし、まして「男体盛り」にはもっと関心はない。

しかしふと気づいたが、わたしは10代の頃からまったく関心がないに関わらず、「女体盛り」という異な方法論を知っていたのであり、(一体なぜだ??)と考えてみるに、犯人は「町の本屋」である。

町の本屋は日本中どこの地域でもどんどんその数を減らしているのだろうが、その傾向が明らかになってきたのはやはり80年代からだろうか。
まだネットが普及している段階ではなかったが、全国チェーンの大手書店やレンタルビデオ店に付属した書店の影響などで、高知でも当時次々と小さな本屋が姿を消し始め、地元のテレビでも廃業寸前の書店オーナーがインタヴューされていたことを覚えている。
それさて置き、高知市の中心街から離れた場所にもかつては「町の本屋」がかなりあって、そうした書店の多くには、「女体盛り」などの写真を含んだ不届きな雑誌が、多くは店の奥の方に、時には店頭にこれ見よがしに並べられていた。
もちろん聖心にして純情可憐な10代のわたしが「女体盛り」だの「団地妻の悶え」だのに興味を持つはずもなく、わたしがやむなくそうした反社会的な書店に足を運んでいたのは、『月刊プロレス』『月刊ゴング』を購入するためである。
そしてもちろんわたしはそうした非道極まりない雑誌を手に取るのも嫌だったけれど、しかし「悪を打倒するには悪を知らねば」というコンセプトの下、心底辛い思いをしながらも嫌々ページを開いてみたことも無きにしも非ずであって、そんな鬼畜的ページの中にきっと「女体盛り」があったのだろう。
しかし「和製エロティシズム」を考える上で重要なこの話題、きっと今後も続くはずである。