●スポーツ選手が「勇気と感動を与える」?そしてクリス・サイボーグVSホーリー・ホルム、あるいは浅倉カンナがRENAを締め落としたチョークスリーパー・・・リア・ネイキッド・チョーク(Rear naked choke)とパンクラス。

末尾ルコ「格闘技とプロレスとスポーツ論で、知性と感性を鍛えるレッスン」

2017年から2018年の年末年始。
わたしは庭の高くなってしまっていた木の最も高い部分をかなり下の方からノコギリで切った。

その前日か前々日にテレビで駅伝か何かの選手が言っていた、

「皆さんに、勇気と感動を与えられるように」

いつからスポーツ選手は自覚的に「勇気と感動」を人に与えられると考えるようになったのだろう。
もちろん素晴らしいスポーツの試合を観ることで「勇気と感動」を与えられることはわたしにもある。
しかし競技に挑む前のスポーツ選手が自分で「勇気と感動を与えられるように」などと言う、この言葉や意識の軽さがわたしには気色悪い。
スポーツ選手は限界に挑み自らが行っている競技の技量を磨き、それを試合でできる限り発揮する・・・それだけでいい。
その結果として、「勇気と感動」は後からついてくる場合もあるし、ついてこない場合もある。
スポーツ選手たちはこうした言葉を「テレビに言わされている」のかもしれないし、あるいは「マスメディアの影響」で使ってしまっている場合もあるだろう。
しかしそういう中身のない綺麗事を言うのは止めないか?
わたしはスポーツ選手のこうした談話よりもずっと、「どのように鍛え、どのように技術を磨き、どのように勝とうとしているか」を熱く語る選手の方がずっと好きだ。


UFC 219 でクリス・サイボーグVSホーリー・ホルムとの女子フェザー級タイトルマッチが行われた。
ひとまずこの試合は、「女子総合格闘技史上最高レベル」と言っていいだろう。
いつもは距離を取ったディフェンシブな戦い方をするホーリー・ホルムもサイボーグのラッシュに対応せざるを得ず、さすがの迫力ある打ち合いが随所に見られた。
結果はサイボーグの判定勝ちだが、判定決着の多さが批判の的となるホルムにとっても、「あのサイボーグ相手に真っ向勝負で判定まで持ち込んだ」ことで、あらためて評価が上がったのではないか。

日本ではRIZINで、要するに「メディアイチオシ」のRENAがレスリング出身の浅倉カンナに1ラウンドで締め落とされた。

チョークスリーパー・・・リア・ネイキッド・チョーク(Rear naked choke)。

わたしはこの技が大好きなのである。
とりわけリア・ネイキッド・チョークは女子総合の試合でとても映える。
極めて残酷だが極めて美しくきまる。

この「チョーク・スリーパー」という技を日本のファンの間に膾炙させたのは初期パンクラスであって、プロレスファンの多くは「スリーパーホールド」を「顎の上から絞める」と学習していたので、「本気で首を絞めている」姿に衝撃を受けたのだった。