●「瀕死の白鳥」ならぬ「瀕死の冬のゴキブリ」への「壁ドン」ならぬ「床ドン」を実行!

末尾ルコ「詩的日常描写の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

1月10日前後からリビングないし洗面所の床で見かけるゴキブリ一匹。
想像するに、それはきっと「一匹のゴキブリ」を何回か見かけているのだろうが、真冬である。
明らかに動きが緩慢だ。
まったく元気がない。
年末年始風邪気味だったわたしより元気がない。
ある時は(死んでるのかな)と思って、床を丼、いやドンとやったら緩慢に逃げ始めた。
しかし床ドンか・・・。
そう、これからは「壁ドン」など笑止。
「床ドン」の時代となったのである。
相手は基本、ゴキブリに限るが。
そもそも「壁ドン」などという乱暴な所業にファンタジーを抱く女性が少なからず存在することが、「DV助長の一端」となっている可能性を誰が否定できようか。
わたし、ああいう行動を持て囃す風潮は嫌いなんです。

ゴキブリの話に戻ろう。
そう、「冬のゴキブリ」である。
夏場にあれだけ威勢を誇ったゴキブリであるが、寒さの中で動きはあまりに鈍い。
ゴキブリを潰して後片付けするのはわたしの望む人生ではないので、「現れても無視」あうるいは「床ドン」などで退散を願うのが常日頃の行動なのだけれど、もたもたとしか動けない「冬のゴキブリ」にとりたてて何らかのアクションを起こす必要性を感じない。
そしてわたしは(はた!)と気づいたのだ。
「ゴキブリの脅威」とは、その「スピーディな動き」にあると。
夏場のゴキブリの動きは速い。
「そこ」にいると思ったら、次の瞬間は「あそこ」にいるという有様だ。
「ゴキブリの脅威」はそのぬとぬとと不気味な形態にもあるけれど、動きさえ鈍ければ、「ぎゃあっ!」と叫ぶようなことはない。
もちろん部屋の中で飛翔されたらたまったものではないし、時に「ジージー」と鳴き声のような音(羽を鳴らしている説もあるが)を発された日には、夢に見ちまう可能性だってあるわけだが、這いずり回ることさえ困難な「冬のゴキブリ」にそんな力が残っているはずもない。

わたしは高みからゴキブリを見下ろそう。
最早「脅威」ではなくなった粘液質の生物を。
そう、「冬のゴキブリ」は言い換えれば、
「瀕死のゴキブリだ」
ケースマイケルよ
イリ・キリアンよ
「瀕死の白鳥」を超えるべく
「瀕死のゴキブリ」を振り付けないのかい
でなきゃ
わたしが
やっちゃうぞ