●「はれのひ」ドタキャン問題への非常に「メディアのお祭り」的「支援の輪」と「成人式=高価な晴れ着」というメンタリティの問題。

末尾ルコ「社会観察で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「はれのひ」という成人式サービスの店舗の多くが成人式当日に突然閉店していた「事件」でもちろん同社は徹底糾弾されるべきであるが、被害者に対する「支援の輪広がる」というニュースを見ると、いかにもメディアティックだなと少々辟易する。
世の中もっと困っている人たちはごまんといるはずだが、「成人式に高価な晴れ着を着られなかった人たち」に対して「支援の輪」の集中投下をするというのは社会全体から見たら、いかにもバランスに欠けた動きではないか。
もちろん誰が誰に支援をするかを決めるのは個人の自由であり、その中の「善意」というものは信じたいけれど、ビジネスの計算上「支援」に乗り出した人もいるだろうし、芸能人も支援に参入とか、連日のマスメディアのお大袈裟な取り上げ方とか、これもつまり「小池劇場」や「貴乃花劇場」と同様の、「マスメディアのお祭り」の一種であることは間違いないだろう。
もちろん、元来日本人は「支援」「慈善活動」といった行為が苦手な面もあるので、「支援を必よな人」に対して「支援可能な人」が「有効な支援」を行うことは原則素晴らしいものだと思う。
ただそのようなことがメディアティックな「お祭り」になっているようではいずれ大きな落とし穴が見つかるものである。

それと「成人式」なのだけれど、今回の件で「はれのひ」に対してかなり以前から大金を支払っているのに契約が守られず、「母子で泣いた」とかいう報道を目にすると、(ちょっと違うだろう)と感じざるを得ない。
繰り返すけれど、今回の件で徹底糾弾されるべきは「はれのひ」であって、被害者たちに落ち度があろうはずはない。
が、それにしても、「そこまで精神的に成人式に依存してどうするのか」と、特にわたしは成人式など元より無視していた方だから余計にそう感じる。
ここにも、それぞれの家族、個人にそれぞれの思いがあったのだろうから、一概に「成人式に期待し過ぎる人たちのメンタリティ」を類推するべきではないけれど、確かに、

生涯に一度だけ
どうにか成人の年齢に達した

「記念すべき日」であるのは理解できるが(わたしにはとりたてて「記念日」感はなかったけれど)、それと、

高価な晴れ着とメイクアップ

を分かち難く結びつける必要は本来ないはずなのだが。