●深夜の道、突然わたしに話しかけてきた初老の婦人の目的は?~佐藤優と手嶋龍一対談で語られた、「北朝鮮ミサイル報道」の極端な閉鎖性。

末尾ルコ「日常描写とメディア批判で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ある夜、11時くらいのことである。
わたしは比島橋の近くを歩いていた。
わたしは原則、毎日ウオーキング・エクササイズをするのである。
その夜、5分ほど歩いたところで、前方から婦人が歩いて来るのが見えた。
暗がりの中、60代くらいに感じたが、今日び人様の年齢など推し量り難い。
「数字的に」何歳であろうと、いつまでも若い人は若いし、20代で若年寄のような雰囲気の人もいる。
その婦人は特に変わった様子もなく歩いているようだったが、それでもふと不安定な雰囲気を醸し出しているような気もした。
それでもただ通り過ぎるだけならすぐに忘れる「一人の他人」に過ぎなかったのだが。
「すみません」・・・彼女はわたしの横を通り過ぎるか否かの瞬間、声をかけてきたのである。
深夜の時間帯に人通りの少ない道で知らない人間に声をかけられて、「はいはい!」と快く応えるほどお人よしではいけない。
深夜でなくても、人通りが多くても、常に要警戒なのだが、深夜はとりわけ警戒レベルを上げておく。
当然のことである。
そして「すみません」と声をかけられた瞬間、わたしの警戒レベルは自然とそのボリュームをかなり上昇させた。
しかしもちろん、「困っている人」の可能性もあるわけで、わたしはごく僅かな時間で、できる限り「あり得る可能性」をシミュレーションしながら、「はい、何でしょう」と対応する。
すると件の婦人、
「この辺で、お金を借りられるところはないですか」
・・・何ちゅう質問だ。
ひょっとしたらあるかもしれないし、ないかもしれないが、わたしはキャッシング関係に明るくはない。
「いや、そういうことはよく知りません」
「あ、そうですか。有難うございました」

と、このやり取りでわたしとその婦人は「通り過ぎた」のであるが、結果的にはなかなか忘れ難い夜の一コマになった。

ところで昨年の『中央公論』に佐藤優と手嶋龍一の「北朝鮮ミサイル問題」に関する対談があったのだが、とても印象に残ったのが、

「北朝鮮ミサイル発射が各メディアのトップを飾り、他のニュースを吹っ飛ばしてしまうのは世界でも日本だけであり、この閉鎖状況は〈北朝鮮のメディア〉とさほど変わらないのではないか」

わたしはこの意見にほとんど同意で、大きな問題である「閉鎖状況」は「北朝鮮ミサイル報道」だけでなく、ありとあらゆるテーマに関して同じになってきていると思う。
もちろんメディアだけでなく、多くの日本人の思考も「閉じまくり」である。