●学校教師はなぜ「恐縮」や「へりくだり」ができないのか?

末尾ルコ「教育論で、知性と感性を鍛えるレッスン」

1月のある午後、「歌う会」的な集まりに参加していた母が帰って来たようなので、ガレージまで見に行くと、タクシーではなく参加メンバーに一人が車で送ってくれたようだ。
それはとても感謝なのだけれど、やや遠めに母に声をかけていたわたしに対してその母と同年配らしき婦人だが、わたしに向かって、
「こっちへ来なさいや」と。

(来なさい?)
これは命令形の日本語ではないか。
確かにその婦人はわたしよりもずっと人生の先輩ではあるけれど、わたしも「けっこうな大人」(笑)である。
面識のない婦人に「命令される」覚えはないのだが。

母は元小学校教員で、現在もリタイアした教員のグループに所属している。
母の現役時代は日教組が極めて強かった時期であり、父も母もほとんど自動的に組合員だった。
しかし特に母は、「日教組の思想や運動」についてまったく無頓着で、要するに、「ほとんどの教員が日教組入り」する時代だったから入っていただけである。
もちろん組合員の中には母にとって「よき友人」も少なからずいるようだけれど、だからと言って母が日教組の思想や活動に意識的だったことは一度もないし、今後もないだろう。

といった話もまたじっくり掘り下げていきたいが、ここで語りたいのは、

「教員」あるいは「元教員」たちの「態度」である。

なぜ「教員」あるいは「元教員」の人たちの多くは、

「へりくだった態度」が取れないのか?

「なぜ」と取り敢えず書いているけれど、その答えは明確ではある。
つまり、「教師だから、へりくだった態度が取れない」というわけだ。
教員になった時点で若くして「先生、先生」と、生徒だけでなく、自分よりずっと年上の保護者にまで言われる。
何かを売る必要も、販路を拡大する必要もない・・・しかしだからと言って、「へりくだれない」わけはないし、人間同士のコミュニケーション上、へりくだって当然の状況も多くあるはずなのだけれど、わたしの知っている範囲では、「へりくだる教師」はなかなか目にしないのである。
例えば自宅の固定電話に母の元同僚などから電話がかかることがあるが、普通突然の電話であれば、かける方は、「お休みのお時間に、突然のお電話失礼いたします」などと恐縮する言葉を入れるのが普通ではないか。
面識ある母が電話に出たのであればまだしも、わたしは母の同僚と普通は面識がないのである。
いつも(ちったあ、恐縮しろ!)と、特に忙しい時に電話に出た場合は不快なのである。

「教師は学問さえ教えていればいい」という意見もあるが、わたしはそうは思わない。
などということも、テーマとして今後も深めていこう。