●『ゴッチ式トレーニング』で前田日明が語った、「安生洋二VSチャンプア・ゲッソンリットの真相」は事実なのか?

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『ゴッチ式トレーニング』の内容についてもう少し続けよう。
アントニオ猪木のインタヴューが充実していたお話は前回したが、実はその内容の多くは今までに読んだりしたものと被っていた。
しかし被ってはいても愉しめる。
やはり猪木そのもの、そして彼の経験や話し方などはそれだけの魅惑を持っている。

で、対して(う~ん)と感じてしまったのがやはり前田日明だった。
「カール・ゴッチ」について語り合うのが基本のはずの本であり、藤原喜明との対談のはずなのだが、途中で1989年にUWFで行われた安生洋二VSチャンプア・ゲッソンリットの話を持ち出してくる。
前田日明と安生洋二の「プロレスを逸脱した」というよりも「社会人を逸脱した」因縁はプロレスファンになるよく知られているし、前田としては公衆の面前で失神させられた、しかもそれが映像としても残っている遺恨を生涯忘れられないだろうが、(ここでも持ち出すのか)と正直苦笑するしかなかった。
その中で前田曰く、安生はその「セメント的」試合でチャンプアと引き分けたのだが、それは事前に藤原が練習中のチャンプアを訪ね、スパーリング的なことを仕掛けて「あらかじめ足を痛めつけていた」から可能だったのだそうだ。
わたしはこのエピソードを同書で初めて知ったので、ひょっとしたらプロレスファンの間で知られた話だったかどうか、それも知らないし、そもそも前田の話の内容が本当かどうかも分からない。
藤原は、「そうだったよな」的に同意していたので、実際にあったのかもしれない。
しかし、『ゴッチ式トレーニング』の対談でこんな話をし始めるのかなとはどうしても感じてしまう。

さらに前田は、「カール・ゴッチの名誉を回復したい」という話の流れを作り、VS猪木でロビンソンが「引き分けをのんだ」のは、「ゴッチの威光があったから」という結論を当然ように持ち出している。
この点についてもわたしには何が事実かは分からないが、「ゴッチの名誉」などと言いながら、前田の話の内容は、「自分(前田)の名誉」ばかり意識している気がしてならなかった。

前田は確かに80年代から2000年代にかけて、プロレス界・格闘技界を活性化させた第一人者の一人であることは間違いないが、まず「プロレスラー」として実に中途半端で、少なくとも伝統的プロレスはやたらと下手だった。
さらに「格闘家」としては、新日のリングでアンドレ・ザ・ジャイアントに仕掛けられた武勇伝はあるけれど、UWFは変形のプロレスだったし、自分で立ち上げたリングスでは、自分はもっぱら「リングス的プロレス」に徹していた。
そんな前田が、「プロレス」や「格闘技」について「いかにも」に語るのには、いつも少々の違和感があるのだけれど。