●「人間のスケールダウン減少」~『肉体の門』かたせ梨乃のような女優はもういない。

末尾ルコ「映画と社会観察の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

もちろん現在の日本映画界にも素晴らしい女優も男優もいて、例えば、安藤サクラのような怪物的女優はかつて日本にただろうかというほどの逸女である。
ちなみに「逸女」という名称は今のところ「天空の逸女」紫雷イオを称するものであり、さあ、どうなるかなあ、WWEでの活躍は。
わたしは、紫雷イオの、相手を持ち上げてから一旦止まり、ゆっくりとブリッジで後ろに反らしていくジャーマン・スープレックスのファンである。

と、いうお話を本日しようと書き始めたのではなくて、五社英雄監督の『肉体の門』を観たのだが、これはご存知、田村泰次郎のベストセラーを映画化したもので、五社作品で5度目の映画化だというから凄い。
主演はかたせ梨乃、そのライバルとして名取裕子、さらに加納みゆき、山咲千里、長谷直美、西川峰子、松居一代、マッハ文朱ら、「時代」を感じさせる面々が並び、その意味でも貴重な映画だ。

敗戦直後の東京有楽町を根城にする、いわゆる「パンパン」だけれど、米兵とは絶対に寝ないという掟を持ったグループが自分たちの人生を切り拓こうともがき戦うストーリーだが、五社作品ならではの適度なエロとヴァイオレンスを盛り込みながらのエンターテインメント作品として仕上がっている。
作品トータルの完成度はもう一つの感はあるが、ちょっと永井豪の『バイオレンス・ジャック』も彷彿させるシーンがあって愉しい。

主演のかたせ梨乃は、例えばわたしがティーンの頃、もちろん映画界の中心的女優としてリスペクトはしていたけれど、その存在感といい、肉体的ボリュームといい、ちょっと「別世界の人」というイメージを持っていた。
しかし『肉体の門』を含めて最近何本か観直して、(得難い女優なのだな)という感を新たにした。
ド迫力の啖呵やド迫力のボディのインパクトは強いが、何とも言えぬ「儚さ」を感じさせてくれるのですな。

『肉体の門』の公開は1988年で、『鬼龍院花子の生涯』が1982年。
その後遺作となる1992年の『女殺油地獄』までに監督した作品が、『陽暉楼』『北の螢』『櫂』『薄化粧』『十手舞』『極道の妻たち』『吉原炎上』『226』『陽炎』と、特に女優を主演にした映画が多いのだけれど、夏目雅子、十朱幸代、岩下志麻、樋口可南子ら、美貌、スケールともに抜群の人たちの起用だった。
今の日本で例えば、『鬼龍院花子の生涯』の夏目雅子とか、『極道の妻たち』の岩下志麻とか、誰ができるかと言えば、誰もいないでしょう。

「人間のスケールダウン」という現象は、映画界に限らず、政治の世界でもプロレスの世界でも共通している点、わたしはよ~く考えてみようと思っている。

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「女優の話題つながり」というわけではないが、次のような見出しをネットニュースで見かけた。

「上西小百合タレント転身、13キロ減量し女優修行」(日刊スポーツ)

まさしく噴飯物中の噴飯物で、昨日道端にどれだけのご飯は落ちていたことか。
だいたい普通は、「売れなくなった芸能人→政治家へ転向」が日本のパターンだろう。
そしてそもそも「上西小百合」なる人物、要するに「有名になりたい」という幼稚な衝動がその言動の中心なのではないか。