●『ロイ・ビーン』とリリー・ラングトリーの、一つの美しい愛の可能性。今の日本の「つるんとした肌」の若手俳優に対するフランス人フェノン(仮名)の意見。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

9月21日、週に一度のフランス語会話をフェノン(仮名)と。
「この前テレビを見てたら、妻(ニュージーランド人)が、〈これが今の日本女性の理想の男よ)と指さしたんだ」とフェノン。
そこに映っていたのは、つるるんとした肌に、女のような顔立ち、ひょろりとした痩せ型の体形・・・まあ、ジャニーズを含め、最近の若手俳優(男優)によくある外見だという。
「フランスではこういうタイプの男は女性に人気ないの?」とわたし。
「ないね。もっと男っぽくて筋肉質の方がずっと人気あるよ。まあこういう(ジャニーズ的)男は、ゲイとかには人気出るかもれないね。あと、一部もの好きの女とか」
もちろんフェノンはゲイ差別意識などまったくない。
客観的感想を述べているだけだ。

もちろん日本には日本の価値観、嗜好があってもいい。
しかしこれだけ「同じような顔」の若い男が芸能界に蔓延れば、制作される映画やドラマも自ずと限られた内容になってしまうし、と言うか、既になってしまっているし、簡単に言えば、「現実を抉り出す物語」などできようもないと思うのだが。

さて、『ロイ・ビーン』という映画がある。
ジョン・ヒューストン監督でポール・ニューマン主演。
この映画については今までもこのブログで触れているが、米国に実在した「判事のロイ・ビーン」を題材としている。
実話に基づいているがかなりファンタジーの要素もあり、そこがまた心地いい作品なのである。
「判事のロイ・ビーン」といってもアウトローな1890年代の米国で「判事」と自称し、自己判断で悪人を縛り首にしていった男がロイ・ビーンである。
たっぷり髭をたくわえた滋味豊かに演じたロイ・ビーンが魅力的でないわけがないが、わたしが同作品の内容の中で最も印象に残っているのが、「一つの愛の形」だ。
あるいは、「一つの愛の可能性」とでも言おうか。

この映画の中でロイ・ビーンはメキシコ人娘と愛し合い、生活を共にするのだが、もう一人深く深く愛している女性がいた。
それが英国女優のリリー・ラングトリーであり、この人は実在の舞台大女優である。
ロイ・ビーンは自分の仕事部屋などをラングトリーのポスターなどで一杯にし、たとえポスターに対してであろうと、彼女に対して無礼な態度をする人間には容赦しない。
もちろん英国人大女優とテキサス暮らしのロイ・ビーンに接点はないのだが、日々ポスターを眺めながら、ただただ崇拝する。
映画上、ロイ・ビーンは一度だけラングトリーの舞台を観劇する機会があり、花束を持参して駆けつけたのだが、劇場にいた詐欺師のために彼女の芝居を観ることさえ叶わなかった。
そうしてロイ・ビーンは一度もラングトリーに逢うことなく生涯を終えるのだが、彼女のポスターなどが多く飾られた仕事場を「リリー・ラングトリー美術館」という仕様にして残した。

そして映画は最後にロイ・ビーンに、そして鑑賞者に大きな贈り物を用意している。
ビーン死後、その噂を聴いたリリー・ラングトリーは彼の残した「美術館」を訪ねる。
その中へ入り、空間を占める幾多のポスターなどを目にし、自分がロイ・ビーンという男にいかに愛されていたかを知り、大きな幸福感を味わうのである。

何という美しい話なのだろうか。