●末尾ルコ「昭和史」1975年、ザ・ピーナッツのさよならコンサート。大坂なおみが東レ決勝で敗退したのは不思議でも何でもない~メディアとの関係。

末尾ルコ「昭和史とテニスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

大坂なおみが東レパンパシフィックオープン決勝でカロリナ・プリスコバに敗れ、残念ながら準優勝に終わったが、相手は現在ランキング8位というだけでなく、1位になったこともあり、全米オープンでウィアムズ姉妹を連破して準優勝したこともあるテニス界のトップスターの一人だ。
つまり冷静に考えれば、「大坂が勝つ確率の方が少ない」相手なのである。
既にそうなっているが、今までまったくテニスを知らなかったメディアも試合を取り上げるようになり、出鱈目な記事も多く見かける。
これからの課題の一つとして今後も注視していこう。

1975年は昭和50年。
この年は4月にベトナム戦争におけるサイゴン陥落が起こっている。
しかしわたしの家庭では、ベトナム戦争についての会話はまるで聞かれなかった。
高校の古文教師の父は日教組組合員であり『赤旗』を取っていたが、決して政治的人間ではなかった。
家にはマルクスの本どころか、政治関係の本はまず見かけなかった。
立花隆の『田中角栄研究』は読んでいたのだろうか。
やたらと立花隆を持ち上げ、田中角栄を貶していた時期があった。
それも決して左翼的スタンスからではなくて、「反体制・反権力のポーズ」を取りたい父の単純な思考習慣からくるものだったことは後に理解できた。
だからわたしがベトナム戦争について多くのことを知るのはまず米国映画から、そして今となっては極めて変更した内容だと理解しているが、本多勝一の著作を初めて読んだ時は若気の至りで驚いた。

1975年、日本では「ザ・ピーナッツ さよなら公演」が行われている。
わたしにとって長い間、「ザ・ピーナッツ」とは『モスラ』の小美人だった。
父にとってもそのくらいのものだったようで、この「さよなら公演」についての話題も聞いたことなかった。
しかしこれは父がどうこうと言うよりも、私が子どもの頃は祖父母がまだ同居していて、つまり今で言う3世代同居であるが、チャンネル権は祖父母が握っていた。
特に母には一切チャンネル権はなく、観たい番組へ回すことは不可能で、この頃の状況の反動が現在の母の「テレビっ子」状態に結びついているのは間違いない。

この4月は、矢沢永吉らの「キャロル」が解散している。
わたしは既に洋楽を聴き始めていたが、主にブリティッシュロック、あるいは米国のポップスであり、どうもキャロルや矢沢永吉のファンとは、「当時は」気が合わなかった。
わたしの周囲のロックファンでキャロルや永ちゃんを聴いていた者はおらず、しかし彼らのファンにとっては永ちゃんは「ロックの帝王」なのである。
前提で既にこれだけのギャップがあると、話はなかなか接点が持てないものだ。
まあ今では永ちゃん、一定のリスペクトをしておりますが。

そしてこの4月、『ローソン』が設立されているけれど。
わたしが子どもの頃にコンビニはもちろんなくて、小遣いを使う場所は、自宅隣の「貸本屋兼雑貨店」、自宅近くの「酒屋兼雑貨店」、自宅前の小規模なスーパーなどだった。
行動範囲は極めて狭かったですな。