●台風を暗殺したい・・・台風24号、そして台風25号、あるいは床上浸水の記憶。

末尾ルコ「自然の脅威の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

9月30日、高知は「台風の日」であって、もちろんこんな中でも仕事に出かける人も多いわけだが、そう、病院勤めのわたしの弟もそうだ、わたしはフリーランスで、つまりPCとネット環境があればどうにか仕事の一端はできるのだから、日中はずっと家の中にいた。とは言え、一日一度は買い物に行かねば、特に夕食の準備ができず、もちろんレトルトご飯などは常備しているけれど、できれば夕食は普通にやりたい。
しかし午後2時くらいから風雨、特に風が強まってきて、わたしんちの庭にはいささか高い木があるのでそれは暴風の際のこのところの不安材料である。
2年くらい前だったかな、高くて太めの木が折れて倒れちゃったことがありまして、我が家の庭の中に倒れるのならいいのだけれど、道路側に倒れてはまずい状況になりかねない。
ああ、しかし庭を長年「ほとんど放置状態」にしていなければ・・・と後悔し始めた時期には木の高さも雑草の勢いも一朝一夕では改善できない状態になっていた。
ま、しかし・・・荒野や森林を開拓してきた先人たちの偉業を想えば、「庭の改革」することなど何ほどのものでもない、って、わたしは何を書いているのかという気もしないでもないが。

それにしても台風が来るたびに、「非常に大きい」だの「猛烈」だの「風速60m」だの、つい昨年まではこれほどまでのことはなかったと思うけれど、これは記憶違い?
まあ先ほども書いた通り、2年くらい前に庭の木の一部が折れて倒れているのだから、その時も猛烈な風が吹いていたのだろうが。
ただ、子どもの頃は、一般的な台風は風速25mくらいで、たまに40m級の台風が来たときは、(うわあ、でかい!)と感じていたのだが、今年は来る台風来る台風、「60m」なんて数字を見かけるからなあ。

まあわたしは高知が拠点であるから、日本付近へやってくる台風のほとんどは高知に影響を与えるのだけれど、子どもの頃に床上浸水の憂き目に遭ったという経験をしている。
その時は台風ではなく、延々と続く集中豪雨だったのだけれど、一階の家の中、少なくとも1m以上の床上浸水だった。
わたしたち家族と、避難してきた隣の平屋に住んでいた老夫婦は二階で難を逃れたが、徐々に家の中に濁流が入ってきて、どんどん水嵩が増してくる不気味さを忘れられるわけもない。
その頃はわたしの家は汲み取り式のトイレでして・・・といった具体的な話は自重するけれど。
しかし幼いころ、それだけの床上浸水があったのに、不気味さは感じても、さほど恐怖感はなかった。
それはおそらくまだ、(大人が何とかしてくれるだろう)と潜在的に信じていたからかもしれない。
今は当時よりも、「恐怖感」とまではいかないにしても、大きな台風が来るとかなりのプレッシャーを感じている。
これが、「大人の責任感」というものだろう。

天気図を見ると、台風24号のすぐ後ろに、台風25号も発生し、進行している。
ああ、台風を暗殺したい。