●『宇宙の法 黎明編』が興行成績1位って、どうなの?~『中学聖日記』の出来がいいwけではないが、その「設定」だけで「ありえな~い」とか言ってる手合いの知的レベルは?

末尾ルコ「映画の話題と表現の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」


『宇宙の法 黎明編』という映画があるのですわ。
この10月12日に公開以来、2週連続で日本の映画週末興行成績1位を突っ走っているのだけれど、この映画、そう、あの偉大なる(笑)エル・カンターレこと大川隆法の『幸福の科学』関連の作品である。
なにせ、「原案 大川隆法、製作総指揮 大川隆法」なのであるからして!
『宇宙の法 黎明編』はアニメであるということだが、いやしかし、カルト宗教団体の宣伝映画が一時期にせよ国内興行収入1位を突っ走る日本ってどうなんだ?
このようなケース、日本以外ではあまり聞いたことがないが。

と、(日本映画界の現状は明るいぞ!)と大川隆法なら確信しているに違いない脱力情報は取りあえずここまでにしておこう。

昨日も話題にしたが、『中学聖日記』ないし、同ドラマについての「ネット世評」についてもう一度取り上げてみましょうね。

有村架純が「中学聖日記」で40代女性の”敵”になってしまったワケ〈週刊朝日〉
https://dot.asahi.com/wa/2018102000017.html

一つ、このような(中学校女性教師と中学生の恋愛)設定を見ただけで、「あり得ない、だから観ない」と決めつける人。
どうなのでしょうか、この硬直し過ぎた感覚。
まず、「このような」設定は現実的にあり得るのですよね。
前にも書いたけれど、わたしが中学時代の新人女教師は明らかに一人の男子生徒に気があった。
もちろん、「気がある」から「恋愛関係」へ発展するまでには大きな壁が、特に女教師と生徒の場合はありますが、「恋愛感情」なら現在も全国津々浦々の中学校で展開されてるはずだし、高校生以上ならなおさらです。
おさらいすると、「こんな設定」は、「あり得ない」じゃなくて、「現実にあり得る」のですね。
「こんな設定」を見ただけで、「あり得ない」と感じるようでは、「思考停止」、そして「感性ほぼゼロ地帯」と指摘されても仕方ないでしょう。
もちろん法的には成人と未成年の恋愛は多くの国で罰せられることになるわけですが、法律の世界と人間の現実感情はかなり異なった世界だと捉えるべきですし、さらに「表現の世界」ということになれば、原則「どのような設定でもOK」なのです。

たとえば大島渚監督の『マックス、モン・アムール』という映画があるのですが、そのストーリーは、今や世界が憧れる大女優シャーロット・ランプリングがオラウータンと不貞の関係を結んでいるというものでした。
それこそギョッとするような「設定」ですが、軽妙に、アイロニカルに、とても愉しく描かれていて、『映画千一夜』という記念碑的映画鼎談本の中で、淀川長治、蓮實重彦、山田宏一という大御所批評家に大絶賛されています。

まあわたしの正直な気持ちとしては、すぐに「こんな設定ありえな~い!」なんて言い出す御仁には、「じゃあ何も見るな!飯だけ食って生きてろ!」と言いたいくらいですが、言いません、わたしもお・と・なですから。