●カフェのマナー・・・「ダーン、ダーン」と荷物を置く女~『時間ですよ』に感じられる「奥行き」と「時間」の理由は?

末尾ルコ「社会的マナーとテレビドラマの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「カフェでの過ごし方」はわたしが常に掘り下げようと試みているテーマの一つなのだけれど、10月23日の午後、こんな女性を見かけた。

カフェで長いデスクスペース、あるいは広いテーブルスペースがありますよね。
そうしたスペースでは同じデスク、あるいはテーブルに他人同士が座り、使う状況になるわけです。
そのような場合に気を付けるべきことは、「同席する他人に迷惑にならないように」まず第一ですよね。
もちろん個別のテーブルやデスクでも「他の(自分以外の)お役さんの迷惑にならないように」がカフェやレストランなど公共の空間利用の際の大原則ですが、特に同じデスク、あるいはテーブルなど他人同士が近くになる場合には細心の注意を伴った言動が必須ですよね。
ところがこの最低限のマナーを分かってない人間が当然のように存在する。
10月も下旬となった23日の午後、わたしはいきつけのカフェで、窓際の長デスクで仕事をしていたのである。
若い女が入ってきて、わたしの一席空けて左側に席を取った。
いかにもデキる女風な雰囲気を漂わせていたが、バッグの中から本やら資料やらを出すはいけれど、デスクの上に「ダーン、ダーン」と力加減をせずに置き始めるのである。
その時のわたしの印象は、(こいつ、喧嘩売ってるのか?)だった。
すぐそばに「ダーン、ダーン」と荷物を置かれて嬉しい気分になるわけがない。
いかにデキる女風を演出していても、その程度のマナーができない人は人間的に大きく欠落している。

BS12 トゥエルビで『時間ですよ』の第2シーズンを放送していて、いつもというわけにはいかないが、なるだけ観るようにしている。
昨今のテレビドラマとの比較も興味深いが、確かにこれは別ジャンルの表現ではないかというほどの違いがある。
『時間ですよ』の画作りはシンプルで、カメラをぶんぶん動かしたりすることはないし、各シーンで俳優に演技はさせるけれど、決してオーバーアクトではない。
映像分野、つまり映画の世界とテレビドラマの世界での俳優の演技の質というものは重なる部分もあるし、かなり違う部分もあるのだが、今のテレビドラマしか観ない人たちはそうした基本的なことも知らない。
知らないのにいっぱし分かっているつもりで、「演技がどうの」「脚本がどうの」とネットに書きまくる恥知らずが多くて、まあ日本文化の危機の一端がここに表れているのだけれど、その問題はこれからも継続的に取り上げている。

『時間ですよ』を観ていて感じるのは、演出もシンプル、色調もシンプルなのだけれど、画面に奥行きがあり、その奥行きは物理的な存在とはまた違ったもののように思われ、しかも、特に船越英二と森光子が語らう茶の間のシーンには、「生きた時間」が流れ続けている感が強い。
これは昨今の日本のテレビドラマでは感じられない重要な要素だと思う。