●「前提となる知識が出鱈目だと、その後のすべてが出鱈目になる」~わたしの「友人もどき」は、アラン・ドロンとロバート・レッドフォードをライバルだと信じていた。

末尾ルコ「世界をより正確に見るための基礎知識のレッスン」

わたしが中一くらいの頃ですが、当時の友人もどきの一人、そう、当時は単純に「友達」と思っていたけれど、振り返ってみれば、ほとんど「もどき」だっていうことってよくありますよね。
まあ夢のない話ですが、お子様教育には「友達もどき」についても加えておいたらいいですね。
でも今回はそういう話題ではなくて、その「友達もどき」がですね、当時アラン・ドロンのファンでして、まあドロンは既に最盛期を越えてはいたけれど、日本ではまだまだ圧倒的ネームバリューを誇っていた。
で、その「友達もどき」が言うんですね、
「最近ロバート・レッドフォードらあゆう若いがが偉そうしゆみたいやけど、ドロンにはぜんぜん敵わんわや」と。
これはナチュラルな土佐弁だったので、(ほぼ)標準語に翻訳しますと、
「最近ロバート・レッドフォードなんていう若い俳優は偉そうにしているけれど、ドロンにはぜんぜん敵わないぜ」という感じ。

さて、この場合、彼の頭の中では映画界についてどのような世界観が構築されていたか、お分かりでしょうか?
わたしの思いますに、彼の頭の中の世界映画界は、「日本と外国」というくらいの区別しかなく、ドロンとレッドフォードはどちらも「外国人映画スター」で同じ世界にいて、大スターのドロンを若いぽっと出のレッドフォードがやや脅かしているという感じのイメージなのだと思います。
でも「事実」はまったく違いますよね。
「事実」はどうか?
まあ、ドロンとレッドフォードは同年代で、レッドフォードが「ぽっと出の若いやつ」には当たらないのはご愛敬ですが、

「この二人が同じ土俵にいて、争っている」

という認識は「事実ではない」ですね。

アラン・ドロンはフランスの大スターでした。
日本でも圧倒的な人気があったし、英国以外の西ヨーロッパではおしなべてかなりの人気があったでしょう。
しかしハリウッドスターのロバート・レッドフォードとは規模がまったく異なります。
ハリウッドスターのロバート・レッドフォードのスケールはまさしく「ほぼ全世界」です。
ハリウッド映画に対する熱心さの濃淡はありますが、間違いなく「ほぼ全世界」です。
当時のアラン・ドロンのネームバリューにもある程度の国際性はありましたが、レッドフォードとは比較になりません。
しかもレッドフォードは当時のハリウッドスターの中でも「トップ中のトップの一人」でした。
これは、「事実」なのです。
ネームバリュー、影響力など、ドロンの比較の対象ではなく、当然ながら本人がドロンをライバルとして意識するわけもないのです。

「俳優としての評価」となれば、話はまた別です。
二人の俳優活動をよく知っている人であれば、という前提ですが、レッドフォードをより評価する人もいるでしょうし、ドロンをより評価する人もいるでしょう。
わたしはどちらも好きですが、ドロンの方により魅力を感じます。
これはしかし「評価」の世界であり、「事実」と「評価」はまったく別のものとして考えるべきなのですね。

で、大切なのは、

「前提となる事実に対する知識が誤っていたら、その件に関して何を語っても頓珍漢になる」ことをよく認識しておくこと・・・とても大切です。
昨今、「頓珍漢」な人がやたらと増えてますからね。