●「ももいろクローバーZ」が「オワコン」ではまったくないのは当然だが、それ以前に無数の「オワコン」が氾濫する日本の言語空間のくだらなさ。

末尾ルコ「音楽と言葉の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」



わたしは今年の夏前まで、「ももいろクローバーZ」の名前はもちろん知っていたけれど、そして「なにかしらスゴイ」という評判は耳にあるいは目にしていたけれど、なにせ昨今のグループアイドルカルチャーには総じて批判的で、田中将大がヤンキースタジアムでももクロの「吼えろ」を自分のテーマ曲として使っているという話を耳にしても、(ちっ!NYで日本のアイドルの歌を流すなよ!)と苦々しい気分でしかなかった。
で、たまたま山田姉妹が出演していた日の『うたコン』でももクロも『走れ!怪盗少女』を披露したのを目撃し、(これは凄い!)となって以来、映像や文章を愉しみながらいろいろと研究しているわけである。
ファンになったのが、「ももクロ10周年記念」の年というのも間抜けな話だが、それもまた何かの縁(笑)、表現者というもの、常に新規のファンを求めているはずだからいいのです。
で、短期集中研究の甲斐あって、ももクロの歴史と現在の立ち位置も概ね理解できたのだが、要するに、
2014年に女性グループとしては史上初のソロコンサートをやり、2日間で10万人以上を動員するまでは、業界の様々な常識を覆す怒涛の快進撃。
2015年以降、特に2018年は長らく5人体制で通してきた中の、歌唱力とダンスに最も定評のあった有安杏果が脱退、ももクロ自体の人気は、安定期、あるいは低下気味とも言われている。
と。
もちろん長期にわたる超人気グループとしての活動がずっと上昇し続けるとか、同じレベルを保ち続けるとかはあり得ない。
日本のアイドルだけでなく、海外の歴史的ロックバンドなどでも同様だろう。
ビートルズにしてもローリング・ストーンズにしてもデヴィッド・ボウイにしても、「世間的な人気の絶頂期」を過ぎればどうしても「その点」については下降気味になってしっている。
その傾向は俳優など、他の表現者も同じことだ。
問題は、「そこからどうするか」であって、さらに気をつけねばならないのは、「世間的人気と作品の、そして表現者としてのクオリティは別問題」という当然にして普通の事実である。
しかしここを分かってない人が多いのだよね。
それは日本のメディアも同じことであるが、「内容について語っているような記事」であっても実はほとんどが、「数字を上げたものをヨイショする・数字が上がらないものをディする」だけなのですわ。

それとですね、ネット民や大きなアクセスを集めるネット著名人の多くが好きな言葉が「オワコン」。

「ももクロはオワコン」「AKBはオワコン」「Purfumはオワコン」・・・さらに、「小説はオワコン」「映画はオワコン」「テレビはオワコン」「紙の本はオワコン」などなど、こうした物言いがどれだけくだらないかについてはまたご説明させていただこうっと。