●内館牧子は「プ女子」と呼ばれて嬉しいだろうか?『カネを積まれても使いたくない日本語』で取り上げている言葉を検証~(笑)はダメか否か??

末尾ルコ「言葉を磨き、知性と感性を鍛えるレッスン」

内館牧子以外にプロレス好きの女性著名人として、作家の西加奈子がおりますな。
この人なんかは本当に好きで好きでたまらないというのがよく分かり、それはそれでいいけれど、「プロレスも歴史的存在である」ということはぜひどなたにも念頭に置いていただきたいものだ。

さて、この前挙げたわたしが「今読んでいる本の一部」の中の、件の内館牧子の

『カネを積まれても使いたくない日本語』。

「どんな言葉を使い、どんな言葉を使わないか」という選択は、その「人の実質そのもの」と大いに関わっているもので、内館牧子の場合はどのような感覚なのかなという興味があった。
一読して感じたのが、「言葉に対する感覚には個人差がある」ということ。
同時に、「言葉に対する感覚が共通するのは必ずしも年齢層によるものではなく、個人個人が育んできた内面的クオリティによる場合が多い」ということも感じた。
まあ当然のことであるかもしれないけれど。

そこで、わたしの活動はご存知のように「言葉の運用によって、人間の内実を向上させ、そこから社会を向上させる」と、大雑把に言えばこういうことであるから、一人の人間が使う言葉・使わない言葉については極めて敏感なのですな。
いつも敢えて「向上」という言葉を敢えて使っているけれど、ここで(向上なんて、昭和の教養主義じゃない~)とか感じてはいけませんよ。
そうしたことも踏まえて、敢えて使ってるんですから。
で、ちょっとここで、内館牧子が『カネを積まれても使いたくない日本語』で取り上げている言葉をサンプルとして、「特定の言葉に感じる不快指数」を検証してみましょう。

内館牧子は同書第三章で、「断定回避の言葉」として次のような例を挙げています。

「かな」
「みたいな」
「感じ」
「とか」
「かも」
「~してみたいと思います/~したいと思います」
「ある意味」
「結構~します」
「~ですかね」
「~とは思う」
「(笑)」
「~だったりして」
「~じゃないですか」
「語尾上げ」
「~的」

どうでしょう。
まあわたしは普通には使わない言葉がほとんどではありますが、「(笑)」っていうのは喋り言葉ではなく、文章言葉ですよね。
これはわたしかなり使ってますが(笑)、ワープロ打ち特有の表現とも言えますよね。
実は以前はまったく使ってませんでした。
(笑)と書いても、その部分が可笑しいと感じているのは自分だけかもしれないし、(ここでウケてほしい)という意識がさもしいのでは・・・と感じていたんですが、それがなぜ今はかなり頻繁に使っているかというと、(笑)という言葉を挿入することで文章全体にリズムが出たり、そして「全体の見栄え」もよくなる場合があると感じ始めたからです。
前述した他の言葉ですが、これらはほとんど「普通の言葉」で、要は使い方や頻度、そして「誰によって、どう使われているか」ですよね。
言葉そのものに不快を感じるものは、この中にはあまりないと思います。

このテーマ、さらに続けますね。