●内館牧子の『カネを積まれても使いたくなる日本語』~「マジ」「ヤバィ」・・・あなたに「似合う言葉」とは?

末尾ルコ「言葉を磨き、知性と感性を鍛えるレッスン」

内館牧子の『カネを積まれても使いたくなる日本語』で取り上げられている言葉のお話をもう少し続けよう。
同書第四章が「へんな言葉」というテーマになっていて、「大丈夫ですか?」「普通に」「ホントですか」「そうなんですね」「ですよね~」などが取り上げられているが、こうした言葉自体にはわたしはさほど違和感を持たない。
これらは言葉自体に難があるのではなく、「誰がどう使うか」によって大きく印象が変わるのではないか。
「カン高く、甘ったるい声」と「平板」も挙げられているが、これは分かる。
特に前者は、生まれ持っての声質で致し方ない場合もあるのだろうが、できれば声のトーンを落として喋っていただきたいとは思う。
「平板」というのはとにかく聴いてておもしろくないんですな。

同書には「市民権を得た新語」という項目もあり、これはわたしも大いに問題にしたいところである。
ここで挙げられているのは次の言葉。

「マジ」
「ヤバイ」
「やっぱ」
「チョー」
「ぶっちゃけ」
「(笑)(泣)(怒)等々」
「全然オッケー」
「メイン」
「思いっきり」
「イケメン」

ここでも「(笑)(泣)(怒)等々」が出ているのだけれど、これは当然「話し言葉」ではないので、同列に語るのべきではないと思うのだが。
「メイン」とか「思いっきり」のどこが気に入らないのかはよく分からない。
「マジ」というのは新語と言いますか、昭和、しかもバブル以前から使われていたはずなので、「新語」として取り上げるのはどうなのか。
しかしわたしはこの言葉、使わない。
使うとしても、「パロディとして」である。

この「パロディとして使う」という言い方をわたしはよくするが、要するに、

「自分の語彙にはしておらず、ほぼ逆のネタとして使う」という意味だ。

この「マジ」という言葉、特にある程度以上の年齢で、「マッジでえ~~?」とか言っているのを耳にすると、時に頭痛を催す。
「チョー」についてはこれまでも何度か記事で書いているが、「五分間にいったい何十回チョーが出てくるんだ」と呆れ返る言語運用の、三〇代後半くらいの女性を見かけたことがあり、それはもう、非常にみっともない人間だと感じたものである。
そして「イケメン」から派生した、「イクメン」「イクジイ」などもわたしは使わない。
しかし内館牧子が同書で取り上げている「新語」って、だいたい古いですな。

「言葉の選択」問題、大きなテーマとしてずっと取り上げていくけれど、

「同じ言葉でも、使う人によって印象が大きく変わる」

という大原則は念頭に置いておくべきであり、「自分に合う言葉・合わない言葉」という客観的な視点も養うべきなのです。
例えば、

「美しい」
「素敵」

などという、人生を送っていく上でとても大切な言葉。
しかしこれらを使っても「合わない」人も多くいますよね。
こうした言葉が「合う」人間が増えてほしいのです、わたしとしては。