●『男はつらいよ 柴又慕情』吉永小百合3人旅から、わたしは友人と旅行したことないと激白し、筒井康隆の「過去への怨嗟」へと至る。

末尾ルコ「映画の話題と人間観察と読書の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『男はつらいよ 柴又慕情』を観ていたかどうかわからずに『男はつらいよ 柴又慕情』を最近観て、『男はつらいよ 柴又慕情』を既に観ていることがよく分かった。
『男はつらいよ 柴又慕情』はマドンナが吉永小百合で、彼女が友人たちと女の3人旅をしている。
福井県東尋坊などがロケ地となっているが、直近の『ブラタモリ』の再放送も東尋坊であり、最近福井県でコンサートを行った山田姉妹も東尋坊を訪ねており、福井県にこそお二人のルーツがあるのだという。
そんなわけでわたしのとって未踏の地である福井に対して急激に興味が湧いているのだけれど、お話は『男はつらいよ 柴又慕情』である。
同作品の中で吉永小百合は女友達3人と旅をするのだが、わたしは男だから女だけの3人旅の経験はなく、そもそも「友人との旅」自体やったことないのに今気づいた。
わたしが旅行をするのは普通は「一人」、あるいは母を含めた「家族」とであって、友人と旅行するなど考えたこともない。
誘われても行かないぞ、昨今わたしを宴会に誘う者さえいないけれど。
なにせ誘われても断られまくりだったからなあ。
当ブログでも何度となく話題にした「仕切りたがりの困った中年婦人」と知り合ってすぐにもしょっちゅう誘われたけれど、無碍に断りまくって、「そんなに断っていたんじゃ、誰も誘わんようになる」なんて言われたけれど、内心(少なくともあんたには金輪際誘われたくないんだよ)と思ったものだ、口には出さなかったけれど。
これを口に出すほど不躾ではないのです。
そう言えばかつて筒井康隆が、「面と向かって人の悪口を言う人間の神経はどうなっているんだ。わざわざそんなことしなくても、誰かを貶める方法などいくらでもあるのに」的なことを書いていた。
読んだのがティーン(笑)の頃なのでやや記憶が曖昧なのだけれど、だいたいそのような意味で間違いなかったと思う。
確かにその通りであり、面と向かって人を悪しざまに言うような手合いはその神経に大いに疑問を持たざるを得ないし、人間として重大な欠落があると思って間違いない「場合が多い」だろう。
ところが世の中、「自分は他人に毒舌をぶち巻いても許される」と信じているどころか、さらに「自分の毒舌は他人に好評だ」と信じている人間が多く存在するのである。
筒井康隆でさらに思い出したのだが、これも彼のエッセイの一つで読んだのだけれど、少年時代に学校(小学時代でだったと思うが、記憶は曖昧である)で同級生から浴びた屈辱的な言動は絶対に忘れることはできないという怨嗟の言葉だ。
私もある時期まで、中学時代、高校時代に遭遇した不快な出来事や屈辱感に関連した連中に対して怨嗟の気持ちを抱いていた。
このところは薄らいでいたが、「怨嗟」の気持ちも時に大事な気がする。