●首相にも、いや殊勝にも信念の、いや新年の、ん?「信念の」の方がいいような気もするが、ひとまず挨拶させていただいて、横着にも持論と思い出など語るわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。

末尾ルコ「新年のごあいさつ」などを。

明けましておめでとうございますううう。

とか書いたりして。
ま、わたしもう長い間、年賀状一枚も出しておりませんけどね。
年賀状については、高校生くらいまで(←いつだ? 笑)はしっかり書いてました。
一人ひとり手書きで丁寧に、出す相手、出す相手に応じた内容で。
でも相手から来るのは、つまらない内容の年賀ばかり。
今であれば、相手がどんなつまらない年賀を送ってきたとしても(笑)、自分にとって相手が大切であれば、素敵な年賀を出し続けると・・・そんな無償の愛を実践というところだが、そんな人間関係は築けてなかったのですな。
まあ高校時代は憎悪や失望、裏切りの連続と、まるでハードボイルド小説のような雰囲気だったぜ。
大人になってからも多少は年賀状を送っていた時期はあったけれど、いかにも「ついでに出した」という感じの印刷年賀状は、わたしの感覚では「いらない」のです。
もちろんこれらすべてはわたしの個人的意見なので、年賀状などはご自分らの判断でやる・やらないは決めればいいのですが、本来の手書きであれば、20人くらいに出すのもけっこうな手間ですよね。時間も費やします。
そんな手間を考えても、(それでも出したい)という人には出せばいいと思う、大量生産のように一人で200枚も300枚も400枚もとか、ちょっとどうなのかという感じです。
わたしは常に、「大量生産の一部」となることは拒否しておりますから。
まあちょっと言葉はきついですけどね。

わたしの家庭はもともと年中行事にはほとんど興味がなくて、特に現在は、クリスマスちりーも飾らないし、正月におせち料理も用意しません。
これも個人的嗜好に過ぎないのですが、お節料理の中に好みの食べ物がないですし、思えば子どもの頃から正月だからと言って特に何かするようなことはなかった。
祖父母がキリスト教のプロテスタントだったことももちろん影響しているでしょう。
ただプロテスタントだったのは祖父母だけで、父母、そしてわたしはキリスト教徒ではありません。
母方の実家は典型的な「日本の田舎」でして、臼や杵も常備しており、正月は大掛かりに餅つき&宴会を催していましたが。
だから正月は時に母方の実家でそんな宴会にも参加していた。
そういうのも今となっては「いい経験」と言えますが、そうした家庭で育ったらかなり大変だったろうとは思います。
現に(笑)母は三人姉妹+弟の中の長女で、いまだに「家の用事はぜんぶ自分だけがやらされた」と憤慨している。
特に祖母が、末妹を極端に贔屓していたと言うのですね、特に教育面で「贔屓された」と、母は80歳を超えてもいまだ憤慨するのです。