●映画『君の膵臓を食べたい』はいただけなかったが、ひょっとして浜辺美波の「透明感」は映画史上貴重かもしれないと思い至った冬の午後。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

何と言いますか、主人公の少女が不治の病で、最後に相手役の男が号泣してとか・・・。
いや別に『君の膵臓を食べたい』だけのことを言ってるのではないですが、ちょっとこういうので「感動した」とか「泣けた」とか言うの、信じ難いのですわ。
別に男が泣くことをダメだと言っているわけではありませんよ。
しかし明らかに、(ここで主役の男が号泣するんだから、さあ泣いてください!)という演出を観て、鼻白まないのが不思議なのですね。
ただ、『君の膵臓を食べたい』は、「不治の病」にあるサプライズをプラスしてはいるのですが。
東宝期待の若手女優浜辺美波ですが、『君の膵臓を食べたい』だけでその才能、将来性を判断はできませんが、今のところさほど残るような女優ぶりではなかった。
「透明感」とか「爽やかさ」とかは確かに今の他の若手女優たちよりも感じました。
しかしとても軽いのです。
この「軽さ」は「軽薄な人間」とかいう意味の「軽さ」ではなく、浜辺美波の佇まいそのものが本当に軽そうなのですね。
そして小柄で、重量を感じないと言いますか、そうですね、「妖精」の役とかを演じたらしっくりくるかもしれません。
例えばクラシックバレエに『ジゼル』という演目があります。
『ジゼル』のようなストーリーの主人公とかはとても似合うでしょう。
その意味では最初から「不治の病で長くない」を自ら宣言し、主人公の男の周囲をある意味飛び回っているような役の『君の膵臓を食べたい』は浜辺美波に合っていたとは言えます。
しかし残念ながら、ストーリー、演出ともに、称賛できる内容ではありませんでした。

けれど、「透明感」とか「爽やか」とか、昨今あまり強調されなくなった言葉が似あうというだけでも貴重な人材かもしれません。

日本女優史上、現在も含めて「透明感」という言葉に相応しい女優を探してみても、なかなかすぐには思い浮かばないですね。
やはり芸能史に大書されるような女優は凄まじい存在感の人が多く、その分、「透明感」とは異なる雰囲気を纏っていることが多いようです。
「透明感」・・・例えば、若き日の久我美子あたりは当て嵌まるでしょうか。
しかし若き日の久我美子の作品をあまり観てないので、断言はできないのですね、わたし。
わたしの好きな、若尾文子、藤純子らは、「透明感」どころか極度に濃厚な女優たちですし、若き日の吉永小百合もハイボルテージで、なかなかに濃いのですよね。
となると、浜辺美波の「透明感」…けっこう貴重な人材のような気もしてきました。