●幼少のみぎり、わたしが腸炎で入院中に嫌々五分粥や三分粥を食べつつ、夜に読んだ江戸川乱歩は事実だったのか?~コナー・マグレガーにふっかけられた那須川天心を語りたければ、相応の格闘技知識を持つべきである。

末尾ルコ「記憶と格闘技の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

子どもの頃、わたしは胃腸が弱い傾向があり、腸炎などで何度か入院した。
幸い大きな病気にはならず、特に入院生活がしんどかった記憶も残ってない。
まあ難解入院したとか、一回の入院期間がどのくらいだったかとか、細かなことは覚えてないので大雑把な記憶の話でしかないのだけれど。
少々辛かった記憶はやはり入院食で、腸の状態に応じた粥が主食になるのだが、米の20倍の水で炊くとされる三分粥や10倍の水量の五部粥とか食べさせられるのは嬉しくなかった。
まあ看護婦の皆様には幼少のみぎりのわたしは概ね好評だったようで、その点では悪くない思い出もあるけれど。

入院中の快楽はやはり読書で。
しかしまだ自分で本屋や図書館へ行っていた年齢ではないから、親が買ってきてくれた本だっただろうか。
とりわけ夜、病室の電燈の下で探偵小説を読んでいた時間の快楽は、今の至るまで「読書こそ人間にとって最高の快楽の一つ」という確信を持ち続けている掛け替えのない体験となっている。
ところがここでもわたしの記憶の曖昧さがわたし自身に疑問や壁を作る。
(この頃病室で読んでいたのは、本当に探偵小説だったのだろうか?)
わたしが子どもの頃の探偵小説と言えば、それは江戸川乱歩を意味する。
しかもまず、乱歩が子供向けに書いたシリーズだ。
ところがそれらの作品、つまり『怪人二十面相』『青銅の魔人』『黄金豹』『夜光人間』などの魅惑的なタイトルを持った小説は、わたしの記憶では、近所にやってくる移動図書館で借りていたはずで、購入したことはほとんどなかったはずなのである。
入院中、移動図書館はもちろん利用できないはずだ。
ではわたしがとてつもない快楽とともに、電燈と闇の中で読んでいた乱歩小説はどこから来たのか。
あるいは実は入院中読んでいたのは、乱歩ではなく別のもので、わたしの記憶が錯綜しているだけなのだろうか。

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元UFC世界ライト級王者、元UFC世界フェザー級王者がツイッターで名須川天心に「MMAルールで対戦を要求」という報道がされているが、これがマクレガーのジョークか、それとも(あわよくば楽して高額ギャラを)と目論んでいるのかはさて置いて。
ところで格闘技関連の掲示板やヤフコメ欄などを見て驚くのは、特に名須川天心ファンや「RIZINがおもしろい」と思い込んでいる人たちの中の少なからぬ書き込みから明らかな、「ボクシングもUFCも観たことない」であろう人たちが堂々と「意見」を述べていることだ。
これって映画に例えれば、『君の膵臓を食べたい』しか観たことないのに、「映画すべてについて語る」ようなものである。
ま、多少極端な譬えではあるが。

自分が何かの話題に対して、

「どれだけの知識を持っているか」

は、まず把握しておかねば、人生の中で大火傷する可能性が高くなるのは当然だ。