●2019年錦織圭全豪準々決勝進出は、2018年大谷翔平MLB成績よりも凄いという主張とともに、「ラッシャー木村 60分1本勝負  ザ・グレート・ムルンバ」のブルドッキング・ヘッドロックをも語る。

末尾ルコ「テニスとプロレスの話題で、知性と感性を磨くレッスン」

錦織圭が2019年全豪オープンテニス準々決勝のノヴァク・ジョコビッチ戦、途中棄権でジョコビッチに15連敗ということで、(ああ、またか・・・)と感じている日本人も多いのでしょうが、まず根本的なところ、

「グランドスラム準々決勝進出がとてつもなく凄い!」

これを踏まえた上での感想でなければ、何の意味もない。

テニスのグランドスラム準々決勝進出というだけで、昨年の大谷翔平の活躍よりも遥かに凄いことなのである。

大谷翔平は素晴らしい。
嫌いどころか、その性格も含めて好きなスポーツ選手の一人である。
しかし、2018年の日本メディアに報道が酷過ぎた。
NHKなどはほとんど「打席ごとの報道」という印象だったし、テレビだけでなく、新聞などでもそのフィーバー(笑)ぶりは酷かった。
と、敢えて素晴らしい大谷の報道に対して、「酷かった」という表現を使っているが、これはもちろん「大谷に対して」ではなくて、「報道」に対してであると繰り返しておコク。

要するに、「冷静な分析なしの印象操作であり、まるで大本営発表」と、ここでも敢えて「大本営発表」という言葉を使ってみた。

では、大谷の2018年の成績を冷静な目で見ればどうか?

「二刀流」ということで日本では大報道だったが、投手としては故障で10試合にしか登板せずに4勝2敗。
打者として本塁打22本はなかなか多いが、指名打者としての成績であり、要するに「打つだけ」である。
さらに強調したいのは、「大谷が打った!打った!」と日本では大報道され続けたわけだが、チームの勝敗という文脈は一切無視だ。
どれだけ素晴らしい試合内容でも負けてしまえば、(ああ~、負けた・・・)と多くの人に言われてしまうテニスと比較すると、印象操作によって、「けっこう甘い評価が許される」のが野球である。

と、まあこうした日本の報道ぶりは、常にわたしのフラストレーションのもとの一つなのである。

では、ここで気分を変えて、プロレス動画である。
何とも香ばしい、次の動画を発見した。

ラッシャー木村 60分1本勝負  ザ・グレート・ムルンバ
https://www.youtube.com/watch?v=TWoeM6vSW_k

ザ・グレート・ムルンバって何?というところからもう心が躍る。
これがプロレスのおもしろさ・・・の一つだったんじゃないか。
そして、プリミティブなアフリカンをイメージしたザ・グレート・ムルンバの出で立ちは、現在であればポリティカルコレクトネスに引っ掛かること必定で褒められたものではないが、当時の日本人にそうした理解はなかった以前に、米国にもまだポリティカルコレクトネスはほぼ存在しなかった時代を想像してみよう。
試合はシンプルな「プロレス的殴る・蹴る」のやり取りの中、ラッシャー木村のチョップが「有効である」というパターンがしっかりと観客に示される。
フィニッシュはラッシャー木村のブルドッキング・ヘッドロックから、変則的なメキシカン・ストレッチのような技。
この展開は説得力があった。
ブルドッキング・ヘッドロックは中学時代、わたしの得意技の一つだった。