●「大坂なおみに国民栄誉賞は必要ない」の意味は?~「本当の愛国者」と「自称愛国者」のちがいは?

末尾ルコ「テニスと社会観察で、知性と感性を磨くレッスン」

「大坂なおみに国民栄誉賞を!」なんていう「意見」も少なからず見受けられるが、わたしは反対である。
もちろん、「大坂なおみなんか日本人じゃないから、国民栄誉賞なんてとんでもない!」なんて言ってる自称愛国者の方々とはまったく異なる意味で反対なのですよ。

ここで一応「愛国者」について簡単にわたしの考えを述べておきますと、日本人の場合だと、

「日本を愛し、日本のためになる言動を基本とする」

と、簡単に過ぎますが、本当に基本はこうだと思いますよ。

それと、「排外主義」は本来、「愛国者」のやるべきことではないですね。
自称愛国者の多くは結果的に「日本のためにならない言動」をしています。
わたしはもちろん、「本当の意味での愛国者」だと自負しておりますが、ま、これも「自称」ではありますけれど、「自称愛国者」とはまったく異なる文脈においてです。

わたしが国民栄誉賞を大坂なおみに授与すべきでないというのは、これまた簡単に書きますと、

「国民栄誉賞にはまるで価値がない」

と考えているからです。

「まるで」という表現はやや極端ですが、敢えて使いました。
もちろん同賞受賞者の中には尊敬している人たちも少なからずいるけれど、それはまた別のお話。
「国民栄誉賞授与」が時々の政権の人気取りに使われていて、既にもそれはバレバレなので、人気取りにさえなってないとも見られているし、まだ(国民栄誉賞は日本人としてお大きな名誉だ!)と信じている人もいる。
わたしは既に書いているように、「価値がない」と考えていますが、なにせ授与理由が意味不明で、(この人が授与されて、なぜあの人はされてない)と言い出したらキリがないくらいだし、特にスポーツ選手への授与は、競技人口や国際的バリューなどをまったく天秤にかけることなく、(何となくその時期にメディアで取り上げられているから、やっとけ!)と、そんな適当さが感じられるのです。
まあ例えば、わたしはそれぞれのスポーツにケチをつけるつもりはないのですが、やはり世界的に競技人口の多いスポーツで成し遂げた快挙と、わずかの競技人口のスポーツで成し遂げた快挙とは大きな「違い」があると考えます。
その観点だけからしても、「国民栄誉賞受賞者の一人」とするには、大坂なおみの国際的バリューはあまりに桁外れで、他の競技とのつり合いが取れないのです。
もし政府が大坂なおみに何らかの賞を授与したいのであれば、国民栄誉賞とは別の「特別な新賞」を設けるべきですね。
まあ大坂なおみにはそれも必要ないというのがわたしの考えではありますが。