●「人気スター」嵐の休止発表で、テレビも主要新聞も、むくつけき御仁方も上をへ下への大騒ぎって、まともか?テリー伊藤はダリを引き合いに出して大野智を語るし。

末尾ルコ「社会観察と日本芸能史を語り、知性と感性を磨くレッスン」

嵐が2010年12月末日を持って「活動休止」というのがとてつもないニュースとなるのが今の日本だけれど、(これでいいのか?)という声はあまり聞こえませんな、わたしは思っているけれど。
なにせ珍妙なのは、50代、60代、あるいは70代以上(に見える)のむくつけき男性陣が口を揃えて、「嵐って、何て素晴らしい仲間なんだ!友情なんだ!」とか『少年ジャンプ』のようなノリで誉めそやす姿を見ながら、(ああ、人間、こうはなりたくないものだ)と感じなくもなかったと言いますか・・・テリー伊藤など、サルバトール・ダリなどを引き合いに出して大野智の「芸術家としての才能」を絶賛していたが、正気とは思えないのである。
かつて櫻井翔がドラマ『家族ゲーム』の主演を務めていたが、いや、悪い内容ではなかったのだけれど、週刊誌のコラムで某女性作家が同ドラマについて、「ミハエル・ハネケを彷彿させる」的なことを書いていて、とても気分が悪くなったのだが、いやいやいやいや、まったくミハエル・ハネケじゃなかったし。
日本の週刊誌のコラムなんて、ハネケ本人はもとより、ヨーロッパの映画関係者の目にとまるはずもないということ出鱈目書き放題ですな。
ま、別にわたし、嵐が嫌いというわけではないのです。
二宮和也が日本アカデミー賞主演男優賞を獲った時のスピーチはいまだに「最悪」だとは思っているけれど。
松本潤の出演した映画『僕は妹に恋をする』や『ナラタージュ』はまずまずだった。
『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』は酷かったけれど、これはまあ監督やプロデューサーの責任。
二宮和也はテレビドラマ『フリーター、家を買う。』が、わたしが観た範囲では一番よかった。
映画『硫黄島からの手紙』はもちろん凄い作品だけれど、それは言うまでもなく、監督のクリント・イーストウッドが凄いのが理由。

大野智と相葉雅紀の出演映画、ドラマは観ていない。

と言いますか、「嵐のメンバーって、歌手としても俳優としても司会者としてもキャスターとしても、そして芸術家としても、すごい才能だあああああああ!」とか主張する方々もいなくはないけれど、客観的に見れば、ぜんぜんそんなことないですね。
「すべての分野で、そこそこ」というのが実情でしょう。
「すごい要素」があるとすれば、ここまでの突出した人気になってしまったことであり、それは彼らの才能と言うよりも、事務所の売り方、それ以上に「日本社会の状況」に因を成しているのだと思います。

もちろんいかなる国のいかなる「人気スター」であっても、「彼らを受け入れる社会状況」が存在しなければ、「人気」にはなれないのだけれど、平成以降の日本は極端に過ぎるのだと。

ところでわたしの中では、「スーパースター」と「人気スター」はまったく別物で、嵐は「人気スター」だと思ってます。